人は間違うことがある | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

最近まで

きてたこと



学校に行き始めて

1週間半


個人差が出始めてきた


私はできる方

でもあんまりにも

ついてこれない人が何人かいて

その人たちがとんちんかんな質問をすることにより

先生がそっちに周り

どんどん授業が遅れていく


「聞いてればできるのに…」と思うけど

やっぱりそういう人は自分の世界に入ってて先生の言うこと聞かないので

また繰り返す

違うことやってりゃ聞けないって



って呆れるの半ばだけど

まあ、仕方ねえと

黙ってる


隣の人もそういうひとだから教えてあげたりね…



でもそういう経験をしてて

ひとつ「うーん、なぜ?」と思った


そしてそのほかにも繰り返し

感じることがあったので

気付いた


人は間違えることがある、と




間違えた時

その経験に強い負の感情を絡めて記憶をしてしまうと


間違えることに対して嫌悪感が半端なくなる



間違えた時他人に強く責められた

間違えた時に自分で自分を強く責めた


そういう記憶を持ってるなら

それは間違うたびに出てくる


間違いを指摘されたときに

むきになって自己弁護するひとはたいていそうだ


ええ、私です



で、産後まもなく

いろんな失敗をした私


それを最近まで思い出せば

オウオウと泣くことは簡単なことってくらい

つらい経験だった



でも

その経験をなぜ思い出し続けるのかと

ふと思った



ああ、失敗自体ではない

その失敗に絡めた自分を責めた心だ、と気付いた



失敗自体は

誰だってするのだ


人間だから



[失敗を責める気持ち]が人をダメにする

失敗という経験を台無しにするのだ



失敗は失敗という行為の名前で

それ以上の意味はない


失敗は失敗であり

悲しいことでも悔しいことでもないのだ


失敗がうれしい人もいるかもしれない


もしも失敗が悲しかったり悔しかったなら

それは具体的に体験した記憶を

くっつけているだけなのだ



私はそう思った

人が間違うこと

人が愚かであること


それは

それは

方法を知らないだけで

それ以上の意味はないのだ

ただ

私の中で私自身を責めたり侮蔑したりする気持ちがあり

それが外に見えただけの話



そんなこんなでまともになりつつあるかも


やっぱりね

失敗は責めちゃいかん

本当に実感したよ


自分で自分を責めることほど

つらいことはない

でも

間違うことは

だれしもあるのだ



私も

いっぱい失敗しているのに

みたくないのは

全部見たら

自分を最悪な人間だと

思い込みそうだからだ


しかし

失敗自体は

意味はない

そこに伴って

感じたことこそが

問題なのだ