自分ではない人に囲まれて | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

昨日は朝から

感じることが多かった



まず

保育園に歩いていけるようになった息子


保育園につくと

まず園長が入ったとこに立ってるんだけど

「おはよう、○○くん。ちゃんと自分で歩いてこれるようになったんだ、偉いね」と

クールにかました



その時

少し嫌な気持ちになった


つまり

今までの三輪車登園はダメな登園だったということ

そしてそうさせていた自分がダメな母親だったと自分を責めたからだ



そして次

保育園から帰ってきたとき

同じマンションに住む友達の友達に会った

その人はあんまり感覚が似てないので話すと昔から違和感をため込むことが多いので

あまり話さないようにしてたけど

共通の友達が出産したこともあったし

彼女が胸に赤ちゃんを抱えていたので顔をみたいなと、思わず話しかけてしまった


そしたら

「もう専門学校行ってるんですか?」

そんな話になって

「いや、まだ、来週から」とかそんな話

「え、その間保育園は大丈夫だって?」みたいなことも聞かれて

「そうそう、保育園は学校行くならいいって」などと話した


そしてその話した後も

不愉快になった

なぜか?

彼女はただ、「それはラッキーですね」と言いたかったのかも

でも私は彼女の物言いとか性格とかよく知らんけど

そういうのを合わせて感じたのは

「えーその間(学校始まってないのに)も預けてたの?」みたいな

ずるいといわれている気持ち

つまり私は不正をしているような気持ちになったのだ



そして

保育園から帰ってきたとき、連絡ノートを見た

そしたらA先生のコメントだった

A先生はいつも説教じみた内容が入る


息子が咳が出るということを書けば

「体調管理には気を付けたいですよね」とか


まるで私の体調管理が悪いから

息子が咳が出るようになったとでもいいたい?というようなことを書く人だ


これは普通の人でも嫌だと思う


で、今回書いてあったこと

A先生がおうちで話してたことを聞きたいと前の日のノートに書いたので

息子はA先生が昔自転車にはねられたことがある、と話してたことを

お笑い交えて書いたのだ


そしたらさ

「確かに話しました!でも私が自転車にはねられたことより

だからこそ、道路に飛び出したりすると危ないよとそのあとに続けてお話したのですが

そのことを覚えていてほしかったです。交通事故には気を付けたいものですね」だって


マジで?

交通事故なんて書くなよ

縁起でもない


交通事故に実際あった人に

「次は気を付けないとね」とかいうタイプの人かもしれない


わかってるって


息子は息子なりに解釈して

ちゃんと気を付けないと、ってわかってて

そしてA先生の話をしたのに

なんだよ



って思った


そして


この3つの出来事で

5分くらいで気付いたけど


みんな別の経験を持ってて

別のパーソナリティを持ってて

私ではないのだ


彼らは別の人間で

そんな表現をするのだ


思ったこと

感じたことは全部「私の内部の感覚」であり

彼女らが伝えようとしたことではない



そして

彼らは私に影響すら与える力もないのだ


考えたら

そうなのだ


いちいち

反応する価値すら持たないのかも


それを決めることができるのは私だ


何事にも

罪悪感を持たず我が正しいと

堂々と生きる人間は

だいたいに

陰口をたたかれる


嫌われることも多い



私はそんな風にはなれない

自分があるのに

気が小さくて一般感覚を取り入れようとするからね


でも

おかげでバランスが保てている


罪悪感を持てるのは

私のバランス感覚だ



罪悪感を持つこと自体は健康的じゃないけど

そういう風に反応するのは

バランスを保とうとする力のなせる業だ




園長

園長はああいう性格で

さばさば

自分の子供にも園の子供にも

「あんたたちはできる子たちだ!甘えないでチャッチャとやろう!ほら、できたでしょ」

そういう人で、自分の幼少時代もそういう風に育てられたのかも

そしてそれが自分の性格に合った教育方法だったのかもね

だから、そうなったのかも

あの言葉にもそれ以上の意味はない


そして

感覚の合わない友達の友達

彼女


彼女は、仕事の人生

仕事しながら子育て

そして、そうする人生に価値を感じている

子供は手がかからず、すぐに保育園に慣れるし、罪悪感だって抱かないそうだ

旦那は神経質そうで私は絶対に旦那に選ばない

義理の母に対してはすっごい自分の母みたいな扱いで

明らかに私と全く違うタイプの人間だ


話してるとすぐに違和感を感じる


そんな彼女の話を自分にあてはめるのは疲れるだけだ


私がいつか仕事をまたバリバリにすると

彼女は言うだろう

「さすがですね」と


その時に初めて調和した感じがするわ


なんだろね


そしてA先生ね

もう50歳すぎ

彼女はイージーゴーイングではない

なぜか?いちいち言葉にしないと

相手に伝わらないと思っているのかもしれない

だからこそ

私が書いた連絡帳の狭い欄のあの言葉だけでは読み取れなかったのだ

そう

彼女は言葉を大事にする人なのかもしれない

そして言葉にすれば、つまり

言葉という形にすれば、それは実際に実現し力を持つと信じているため

人の中にすでにあるものを信じられないのかもしれない

だからいちいち「交通事故に気を付けないとね」とか

「健康管理に気を付けないと」というわけよ

子供が健康な時に「健康管理に気を付けよう」と言われたり

園便りとかで相手が不特定多数のものにそう書いてあっても気にもしないが

そうやって個人特定でちょっと咳込みのある息子に書かれたのでは意味がまるで違う


彼女は

でも責任感が強そうだ

そうやって

「先生」するけど

その分、頼れるところも多い


人間、バランスだよね



完璧なものはないし

自分にあるからこそ感じるのだ


相手は自分ではない

切り離すことは容易なことで


むきあってるのではなく

並列に

並んでるようなものだ


そこで影響を受けるも受けないも私の自由


そう思ったとたんに

楽になった


メモ