バッタを踏み、息子は二回転ぶ | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

朝からなんだ?


家を出た第一歩目に

玄関先のバッタを踏み


息子は保育園までのわずか100メートルくらいの間に

二回も転んだ


半ズボン

アスファルト



もちろん大泣き


今日は

遠足の日で

ちょっと先生も忙しい日だから

構ってられないほどなのに



一回目に転んだとき

家に連れて帰ったけど


二回目は保育園のすぐ前だから

そのまま

連れて行った



なんなのだ



息子が転んだこと


私が靴下をはきたくない息子にはかせなかったこと

そして芋ほりだから半ズボンにしたこと


それが

自分に全部降りかかった


こうやって全部

出来事を自分のせいにするのは

いやだけど

一回は無意識でそれをする


そのときが一番不愉快だ


状況は

保育園が忙しいときで先生が一人一人に構えないという

そういうときだから

私もなおさら罪悪感を感じる


つまり

先生が「ああ、じゃあ、すぐ消毒してバンソコはろうか?」って

そういう風に

してくれたら罪悪感が減ったのだ

これは

すべて

自分の感じ方が無意識に全部自分が悪いという気持ちと切り離せなくて

こうなっちゃってる



息子が4月に登園した日

二日目だったかな

すごく嫌がってたのに

登園がお散歩気分で楽しく行ってた


その日だ

すぐに転んだ


そして泣いて

抱いてなだめて

やっと歩き始めたらまた転んだ



あの時の気持ち

すごく保育園を嫌がる息子を保育園に行かせるのに強い罪悪感を感じていた



今日も

また転ぶんじゃないかと思った

一瞬だけ


過去の再生だ


一回転ぶ日は二回転ぶ



そう思ったけど

「まあ、そんなことないでしょ。そんなことが昔あったような気がするけどそれだけ」

そう思ってかきけしたのに


その1分後

楽しそうに走り出した息子は、転んでた



くだらないことだ


気にしない人は気にしないし

こんなのよくある笑いごとだと思う


だけど

私はこうやっていちいち考える


だって

自分がつらくなる


保育園に行った息子は

もちろん半べそ


そして

大好きな先生が来るのをずっと待ってて

男の先生ではいやだという


わがまま言わずに行けと

いう気持ちがない

私には


だって私は私を責めているから


息子の問題は息子の問題としてない


全部私の問題だ



朝、バッタがいたのは

私のせいじゃない


バッタがそこにいたのが悪い


バッタの体液が

バッタから出ていた


オレンジの液


緑の体にはオレンジの液が流れている


子供の時、バッタが大好きでいつもバッタを探してた

大きなバッタを見つけるとアドレナリンが大量に出た


バッタを捕まえることも好きだったが見ることも好きだった

捕まえるといっても一瞬だ

かごに入れない


ただあの肢体が好きだった

あのバッタの体がきれいだ思った

ショウリョウバッタ?だったかなそんな名前のバッタ


でもあんなに好きなバッタだけど

ある日

そのバッタに罪悪感を持つ出来事があった


私はアスファルトの上でバッタと遊んでた

私が足でバッタの近くをわざとトンと踏むと

びっくりしてバッタが跳ねる

それを繰り返してたら

うっかりバッタを踏んでしまったのだ


その時の気持ち

今でも鮮明に覚えている


すごい罪悪感だ

そして

私に踏まれたかわいそうなバッタからはオレンジ色の体液が漏れていた



本当に何度も心でバッタに謝った

でもいまだにあの気持ちは消えてない

30年たっても



自分がいつも悪いのだ

私は

それって

かなり自分勝手だ


自分が決めた

自分で決めた


どう体験するかを自分で決めたのだ


事象は変えられないが

自分の気持ちだけは変えられる

感じ方だけは変えることができる




それを実感した朝だった