それにしたって
人は
体験するものを決めて生まれてくるのかな?
親が自殺するって
決めて来る人もいるのかな?
そんなこと考えたこともない、
そういうひとのとこにもくるの?
体験として
事象としてはそうかもしれない
それを機にして
感じたいことは前もって薄々わかるかもしれない
こういうことがあるかもしれない
私はこういうことをしてもいいのかもしれない
俺はこういうことをしなくてはいけないかもしれない
自分の中にもつ可能性は
どんどん具現化する
私が
子宮の手術をすることになったとき
想像の範囲内だった
そういうことがあっても仕方ないな。。。
そう思っていた
いじめにあったとき
想定外だったけど
自分を周りから疎外する気持ちはすでに自分で持っていたものだった
そう思えることと思えないことは
必ずある
私の中に
父母や義父母の面倒を見るのがいやだとか
みたいとか
そういうの
全くない
感覚が欠如している部分だ
そういうのって
きっと
未来的にも関わることが
あまりないような気がする
つまり、気にすること
気になること
自分で感じることを許す部分はどんどん
現実化していく
ああ
えーと
わかりにくいね
でも
親に自殺されたことはないから
私には
その人の気持ちなんてわからない
でも
そのことによって
感じたいことがあったはずだ
あるんだ
事象自体にフォーカスしてもいい
でも
何を感じたかったのか?
それが大事
もし
体験したいと思うなら
感じたいと思うなら
きっとそれは瞬く間に実現する
もっと私は
しっかりしなくてはいけないんじゃないのか?
もっと俺は
健康に気を遣わなくてはいけないんじゃないのか?
そんなことを
うっすらでも思うなら
きっとそれを思いっきり感じる出来事を体験できる
親が倒れたり
家族が倒れたりして
自分がしっかりせざるを得ない体験をする
自分自身が健康診断でひっかかったりして
自分の健康状態や生活習慣に向き合う機会をもつことになるかもしれない
そういうことだと思う
なんでも
そんなものかもしれない
でも
親って特別な感じがする
まだ30歳にもならない独身の彼だけど
彼は
これから親の自殺を受け止めて
どう踏ん張るか
どう受け止めて
どう生きるか
私は見守りたい