死について考えたことがある
何度も何度も
死にたいと思ったこともあるし
死、そのものについても考えた
これって
誰でもあるんじゃないかと思う
死ぬこと
それをわかってこそ
生を完全に充実させることもできる気がする
二元性、ですから
この世に楽しみをもたらすスパイスは。
というわけで
生のみを見て生のすべてを知るというのは
難しいもの
臨死体験した人のほうが「生」を楽しめそうな気もする
そして
死を考えた人のほうが
生をより感じることができる気もする
癌で死にかけた
でも生還した
そうしたときに生の輝きを知るでしょう
そういう感じにさ
私自身
死のうと思ったときは
いじめの悔しさからだったけど
でも
本当に、本当に、死のうと思ったのかは覚えてない
その準備段階でくじけたから
同じところをぐるぐる回る現象が起きたの
あれってなんだ?
方向音痴だから?
でも不思議なほどに
同じ場所をぐるぐると回っていて
目的地につかなかった
あれは今考えるとやはり不思議だ
今は
死のうとなんて思わない
なぜかというと
せっかくこの世に生まれたからだ
死ぬことを恐れること
それは人間として当然なのかもしれない
でも私は
そこまで死は恐くない
血が出て痛いとか
そういうのだけがイヤで
死ぬこと自体は別にいい
魂が抜けるだけで
その後の世界は
また続くと信じているから
肉体をここにもったのは理由があるんだろう
「あそびにきた」
「体験しに来た」
それだけかもしれないけど(笑)
魂はこれ以上成長しようがないほどに完璧だから
まああえて定義するなら
ここにきてどうしたいかって
肉体の感覚を楽にしていくこと
つまり肉体の意識のハーモニーをできるだけ魂に近く同期させていけたら
いいんじゃない?
そんなことだと思う
別に
目的とかなくてさ
楽になりましょ♪
みたいな
肉体持ったまま
どこまで楽しめるかね?
制限ありだからこそ
楽しいぞ
みたいな…
そんな感じかな?
死は
肉体というものを捨てること
ただそれだけのこと
でもね
どんどん痩せこけて
病床で死に近づいていく人の姿を見ると
その一言じゃ なんとも片付けられないものもある
なんで
苦しんで
肉体を脱ぐのか?
私はそれが不思議だ
肉体から出るときは
快感ではないのか?
出る前も快感続きだったらいいのに。
痛みだとか
苦しみだとか
そういうものを伴って
肉体を離れる段階に行き着くなんて
真っ平ごめんだわ
多分
私はコロッといく
だって私がそういう気持ちだもん
死期が近寄ってくると
どんどん気持ちよくなって
毎日幸せになっていく
毎日楽しいことしか考えられなくなっていく
たとえ足が動かなくても
体が動かなくても
本人はどんどん満たされていく
最後は
死ぬ前に
見送るものたちが「良かったねえ」と送れる
そういう世界に変えたいねえ
「いやーお父さん、本当に最後は幸せになってよかったよねえ、本当は、ああいう人だったんだねえ」なんてさ
死ってそういうものでいいんでないのか?
肉体の寂しさ
肉体の分離感
そんなものはもういらないんじゃないのかな