「事象」を起こしに来たんじゃない | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

考えることは

感じるための道具であり 手段であり


私たちは記憶を再体験することや

安心感

快感

達成感


そんなものを求めて生きている



ただ「感じる」ために



一度味わった快感を再び求めようとする


子供のしつけにはそういうものを利用する


よくできたら

過剰なほど褒めるとかね

褒められた、その気持ちを再体験したいがために

行動する



気持ちよくなることを求めるのだ


親をわざと煩わせる子供はどうか?

煩わせると親が反応して自分に構うのが楽しいのだ


その楽しさより

褒められる気持ちよさ

自尊心を刺激される気持ちよさを味わうと

いいのかもね


でも一筋縄でいかない子もいるし

個性がさまざまだからね

それだけじゃないけどさ


こだわりが強いこは

何にもコントロールされないからね

相手に沿って理解を示していくことがいいのだろうね


あ、話がずれた


そう、子供だけど

最初は簡単なゲームをする


そして達成すると

大喜び


でも

それが簡単すぎると、もっと難しいゲームに挑戦する


そして達成すると大喜び




同じだ

大人になっても



人はどんどん

難しいゲームに挑戦したがる生き物だ


だから

何かをクリアすると

次に、次に、と自分でゲームを設けるのだ



それが私たちの生き方


ゲームが不要になるのかな、と

最近まで思っていたけど


いやいや


私はゲーム好きなバリバリの人間魂だ、と気付いた




ゲームが楽しいからここに来たのだ


自分を試したり

自分の気持ちよさを求めたり

そうやってゲームしに来た


いろんなことして

どんな気持ちになるか体験しに来たのだ



この目的が分かったうえで体験するのと

そうでないのとでは

全然違うと思うし


私はこの世界にきたのは

「感じるため」だって気付いた



物事を起こすためじゃないよ


感じるためだ



痛いことは

人によっては気持ちいい


寒いことは人によっては気持ちいい


五感でない


「気持ち」を感じに来たんだよ


事象を起こしに来たのではない


ここが大事

事象にこだわるのが間違い


事象は

感じるための道具だ


って気付いたら

ブレが全くなくなったよ~~~