大人には見えないお友達ができる
これは、感受性豊かな子供の
「あるある」なのではないでしょうか
私も、子供の頃は見えない友達がいました
そして、それが今も続く不思議体験の
全ての始まりだったような気がします
「見えない友達」と言うと
その子にしか見えない、
「人間のカタチをした友達」という
イメージを抱く人が多いと思います
私の甥っ子がまさにそれで
彼いわく「小学校6年生くらいの女の子」の
見えないお友達が家にいて
大人が見ていない場所でコソコソと話したり、
兄のスマホを耳に当て電話で話したりしていました
ただ、私の場合は「人間」ではなくて
「精霊」という表現が近いのかもしれません
私自身にも姿形は見えないのですが、
「そこに、何かがいる」という感覚で
木々や花や空と話したり、ぬいぐるみと話したり、
一箇所に集められた落ち葉の中に潜って遊んだり
家や自転車やお皿や食べ物…
あらゆるものに命が宿っているように
話しかけていたのを自分でもよく覚えています
我が家で唯一の不思議体験と縁遠い人、
母はそれが最初は怖かったそうですが、
次第に当たり前になり
寝る前に壁に向かって話し続ける私に
「友達も早く寝ろって言ってるよ」と
普通に言えるようになったそうです(笑)
大人になった今もその感覚は残っていて
上手く説明できないのですが
よく「守られている」と感じます
うーん「守られている」のもちょっと違うな
やっぱり「すぐそばにいる」なのかな
いや、「一緒に生きている」なのかもしれない
(言葉にするのが難しい!)
その感覚は、自然豊かな東京郊外に
引っ越してからより強くなりました
朝、ワンコと散歩するときには
空を仰ぎ、上がったばかりの太陽と話し
そっと地面に手を置いて草や地球と話す。
より自然と「繋がり」が強くなった気がしますし
自然はいつも沢山のことを教えてくれます
「この世の全てはいつか死に土にかえる。
生きるとは、ただ、それだけのこと」
これも彼等が私に教えてくれたこと。
何かを成し遂げなきゃと思ったり
自分の存在意義を探しては、
何も持っていない気持ちになって絶望したり、
都心でガムシャラに生きていた
若い頃は生き辛さを感じることもあったけど。
ネガティブではなくポジティブな意味で
「特別」を求めなくていいと思えるようになりました
私達はこの世界の大きな自然の一部です。
一人で生きることはできません。
そして、全てのものに命は平等です。
だからこそ、未来を恐れない、死を恐れない。
与えられた、この時間を、一日一日を
ただ、ただ、大切に生きる
それはものすごく当たり前のこと。
でも、忙しい毎日を送っていると
この当たり前を忘れてしまうんですよね。
今も昔も「精霊」は「言葉」を話しませんが
何を伝えたいのか「感じる」ことができます
でも、これって、私だけの特殊能力ではなく
全ての人間に備わっている力だと思うんですよね
例えば、それまで空が曇っていたのに
神社に着いた途端にパッと太陽が顔を出し
「歓迎されているな」と感じる。。。
そういう経験、誰もが一度は
したことがあると思うんです
ちなみに、最近の彼等からは
「シンプルになれ」「手放せ」という
メッセージをよく感じます
物質的にも、思考も、心の動きも
余計な物を手放して身軽になりなさいと。
その意味や理由はまだ見えてこないのですが…
とりあえず、今週末は断捨離に
せいを出したいと思います(笑
※ noteでもスピリチュアルエッセイ書いています
「フシギなハナシ。」
こちらのほうが公開が早いので興味のある方は是非!
