ψψ ten☆i-cubeで家を建てよう ψψ

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不思議なご縁で一条工務店に出会い、i-cubeに魅了されたわが家。
一条の性能にほれ込みつつも、見た目はもうちょっとお洒落にしたい。。
 夢の家を目指して家族3人、猪突猛進していきます☆

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地震により最も苦労したことは断水でした。

ヨメコが住んでいる地区は水道管の損傷が大きく復旧が遅れました。

とはいえ益城や阿蘇に住む方々の苦労に比べると微々たる苦労だったことは重々承知の上…

ライフラインが切断されるとどのようになるか触れておきたいと思います。


15日の夕方、前震の翌日に完全に断水となりました。

昨年のかいの自由研究で地震について勉強しましたが、水道管の損傷があっても地震直後にはまだ水が出ることが多いそうです。

地震が起きたらすぐに水を溜めましょう。

ヨメコは前震の直後に湯船にお湯を張り、家にある鍋やペットボトルに水を確保しました。

避難道具に入れていた100円均一で買った5ℓ用の給水ボトルや給水バッグも役に立ちました。


断水後、生活は一変します。


最大の問題はやはりトイレ。

ヨメコ邸のトイレは施主支給で一条トイレはありません。

1階はアラウーノ。2階はINAXのアメージュC(タンク式)。

災害時はタンク式が強いと聞いていましたが…

実際はアラウーノが使いやすかったです。

型の新旧や仕様にもよるのでしょうが…


アラウーノは1回水を流すのに最小3ℓ、右下の手動ノズルを回して流します。

タンク式のトイレは4~6ℓの水が必要でした。

タンクに水を入れた後、流しながらさらに水を追加しなければならず面倒でした。


浴槽に溜めた水だけでは2日ほどしか持ちません。

毎日水が出る場所まで行ってポリタンクやペットボトルに8人分の生活用水を確保しなければなりません。

濁っているので飲み水の確保は別。

学校など給水車が来る所に行きます。

物資が行き届くまでの数日間は長い行列を覚悟しなければなりません。

それでも車のあるヨメコ家はまだいいですが、お年寄りや歩いて運ばなければならなかった方もいたでしょうし重労働の死活問題でした。

夫婦ともに仕事は通常通りの勤務時間…

仕事が終わってから水を調達しに行きます。

遅いので配給にもなかなかありつけません。

たくさんの休業・失業者が出た中、ありがたいことではありますが、やはり相当な負担でした。

帰宅後はすぐに夕飯の準備にかかります。

食器が洗えないのでサランラップを皿に巻いて使います。

それでもどうしても鍋などの汚れものが出てしまいます。

限りある貴重な水での洗い物は普段の3倍ほどの時間がかかりました。


もちろんお風呂にも入れません。

子どもたちはお湯を沸かして清拭をしました。

洗面器1杯でペットボトル1本分の水が必要です。

仕事をしているヨメコはやはり清拭だけというわけにはいきません。

地下水くみ上げ式で断水中でも稼働している温泉施設に夜な夜な向かいます。

混雑を避け夜中の12時前に到着しますが長蛇の列が途切れることはありません。

寒空の中1時間外で待ち、やっと入れたと思ったら今度はシャワー待ちで1時間、裸で並びました。

まるでディズニーランドのアトラクションの様にくねくねした列を裸で並ぶんです。裸ですよ、ハダカ!!

あり得ない!!

パパを待たせているので湯船に浸かるのはたった5分足らず‥


きっと苦情が出たのでしょう。

次に行くと人数制限が設けられており、外で三時間待たされました。

中に入るとシャワーコーナーにはずいぶん空きが…

若いバイトの子らしかおらず決められた時間通りに淡々と誘導するだけ。状況を見ながら采配するという教育は受けていないようでした。

中が空いているのに外に出るとまだ長蛇の列。

この列に意味があるのでしょうか。

少なくとも3時間も待つ必要はなかったはず。

時間は深夜3時。8時からは仕事に行かなければなりません。

無性に腹が立ちました。

被災者支援で割引価格なら文句も言いませんが通常料金をきっかり取られます。

今回の地震でさぞ儲かっただろうと思うと看板を蹴飛ばしてやりたくなりました。

料金分の仕事をしっかりしろやーーーヾ(。`Д´。)ノ


ちなみにここには大型のコインランドリーも併設されています。

ここも長蛇の列。

乾燥まで終わるのにやはり3時間はかかります。

ヨメコがお風呂に入っている間、パパが並んでくれました。


この温泉施設のことを考えると今でも吐き気がするヨメコ。。

水が出るようになった今、二度とここに行くことはないでしょう。


小学校も保育園もお休みです。

仕事はあるのに子どもが預けられません。

両親が避難してわが家にいてくれたので助かりましたが、そのせいで両親は益城の家を見に行くことができませんでした。

度重なる余震の中、危ないのは分かっていてもやはり大切な家がどうなっているのか見に行きたい、少しでも片づけをして前に進みたい、高齢の身でちび達を抱えながら居ても立っても居られないという気持ちが感じられて申し訳ありませんでした。


震災のショックとライフラインの切断に疲労がMaxに近づく頃、天気までもが崩れました。

「雨の予報を見るだけで気持ちが暗くなる」と涙ぐむ義母に鬱になったらどうしようと不安がよぎります。


誰もが一日を過ごすのに精一杯でした。


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地震のあった翌日の4月15日、夜勤に行くといつも通りの日常が続いていました。

やはり被害は益城町に限局していてその他の地域ではまだ大きな困難もなく“被災した”という意識がほとんどない様に思いました。


こんな時なのにバカなヨメコは携帯の充電器を二つとも持ち去り、しかも肝心の携帯を家に忘れてくるという失態をしてしまい、パパが子供たちを連れて職場まで届けに来てくれました。

自分のミスはさておき束の間でも家族の顔を見るとホッとしました。


それから数時間後・・

落ち着いた夜勤でヨメコは1時過ぎに仮眠を取りにベッドに入りました。

電気を消して間もなく…

ドーーン!!という突き上げるような衝撃が走り直後に激しく横に揺れました。


1時25分、熊本地震の本震が起きたのです。


揺れが収まるのを待って廊下に飛び出しました。

患者さんが数人廊下に出てきていました。

消火器が転がりなぜか防火扉がすべて閉まっています。

異様な光景に一瞬足がすくみました。

「状況を確認してスタッフが指示を出します。待機してください」と話してナースステーションへ。


生体監視モニターやパソコン、棚にあったはずのあらゆるものが落ち、居残りしていたスタッフが呆然としていました。

ここにいた彼女が一番危険だったに違いありません。なぜか水浸しになっている所もありました。

スタッフの無事を確認すると手分けして各部屋の安否確認に向かいます。

ポットが転がったりストッパーがかかっているにも関わらずベッドが移動している部屋もありましたが、けが人はいませんでした。

建物に大きな損傷はなさそうなので屋外へは出ず室内待機とし、各部屋のドアを開けて浴槽に水を張りました。


何度も何度も強い余震が襲ってきました。

その度に携帯のサイレンが響きます。

家族に電話するけど繋がらない。


昨日の地震の時、「怖かったけど家族と一緒だったから良かった!」と話したことを思い出します。

こんな所じゃ死ねないと思いました。

死ぬなら家族のそばがいい。

さっき携帯を届けてもらったことが遠い昔のことのようでした。


余震の度に巡視し一人では逃げられない術後の患者さんのもとで待機します。

外は停電しているようでした。

自家発電している病院の駐車場に避難してくる車が押し寄せてきました。


しばらくしてパパと連絡が取れました。

家族も家も無事のようです。

ただ寝室の水槽が割れて水浸しになっているとのことでした。


テレビを見るとダムが決壊し阿蘇大橋が崩落したというニュースが流れています。

言いようのない不安と焦燥感、そしてどこか冷静な自分がいたのはやはり頭が仕事モードだったからでしょうか。


夜が明けてくると今度は電話がひっきりなしになり始めます。

避難所などで体調不良を訴えて来院される患者さんの対応にも追われました。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


私が病院で走り回っている頃…

自宅の方では大参事と小さな奇跡が起きていたようです。

パパの話によると・・・


ドーンと突き上げる揺れを感じた瞬間、ガラスが割れる音と大量の水がベッドを濡らしました。

ベッドの正面に置いていた60cmの水槽が地震の衝撃で落ちて破損したのです!

パパと子どもたち三人がベッドに寝ていました。

1階から祖母と両親の叫び声。

辺りは真っ暗でした。停電しています。

パパが1歳の末っ子を抱えて立ち上がると、3歳のりゅうが「りゅう君を置いて行かないで!!」と叫んだそうです(笑)

4年生の長男かいが「俺が抱っこするけん!」とりゅうを抱っこして暗闇の中、階下へ。


後から部屋を見てぞっとしました。

部屋中に水槽の破片が散らばっていて暗闇の中を裸足で怪我一つなかったのは奇跡だと思います。

水槽の水は廊下にまで流れ込み、部分的に一階まで水漏れしていました。

漏電を恐れてブレーカーを落としました。


テレビが倒れていましたがローテーブルとテレビ台をくっつけていたおかげで落下を免れ、しかもテーブルの上にあったおしり拭きがクッションとなって損傷もありませんでした。

大きな余震が続きましたが家がつぶれるかも‥という恐怖は誰にもなかったそうです。

わが家に於いて外へ避難、車中泊という選択は皆無でした。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


長い夜を終え、朝が来ました。

次勤者が来れなければ夜勤日勤かと覚悟しましたが、引継ぎができるくらいの人数は集まりました。

皆心ここにあらず。こんな状況でも働かなくちゃいけないなんて…

医療系の苦悩でもあります。

同じく医療系のパパもこの日は勤務で感動の再会はお預けでした。


家に帰り、ようやく子ども達を抱きしめてほっとします。

家族が元気で家があること。

当たり前のことではなくとても幸せなことだったんだなぁと思いました。



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熊本地震の様子をブログにまとめていますが、昨日一条の方が家の様子を見に来られ、今後のことを少し話せたので先にこちらを報告したいと思います。


地震後2回目となる一条の訪問で1回目は前震から5日目、本震から3日目の頃。カップ麺と水を少し届けてくれました。


今回は日曜日の朝9時半にアポなしで来られたので寝起きのヨメコは顔出しNG。

パパにお話を聞いてもらいました。

事前に電話くれたらよかったのにー!!


熊本地震で倒壊した一条の家はなかったそうです。

ただソーラーを乗せたカーポートの被害がとても多かったとのこと。

ヨメコもカーポートの被害の話は耳にしていて、屋根が一部落ちて車が出せなくなったとか。。

頭が重すぎて大地震に足が耐えられなかった様で今後の課題となるでしょうとのことでした。

ヨメコ邸でもソーラーカーポート、迷いましたが導入していれば車がやられていたかもしれません…


ちなみに屋根のソーラーの被害はあまりなかった様でした。

一条に限らずソーラーが落ちた家は後付けの所が多かったみたい。

固定資産税を払っているだけあってやはり強度が違うのでしょうか。


被害の大きい地域から優先で補修をすることになるのでご了承ください、とのこと。

もちろんです。


そして「ここで儲けを出してもしようがないので補修はぐっと抑えた価格でするという一条の方針が決まりました」とのこと。

なんて素晴らしい!ありがたいことです。

戦争も災害も企業にとっては儲けどころとなるでしょうに。


地震保険も全壊半壊でなければあまり下りないようだし、地震以降普段と違う出費も結構かさんでいます。

いざという時に手を差し伸べてくれる頼もしさ(●´ω`●)ゞ

一条の懐の深さに心より感謝申し上げます。


     *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


今週よりようやく学校が始まることになりました。

地震以降、止まったままだった子どもたちの時間がようやく動き始めます。

一日も早くいつもの生活が取り戻せますように…


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熊本地震により築4年のi-cubeがどのような被害を受けたのか報告していく所存ではありますが、その前に震災直後がどのような状況だったのか気持ちの整理も兼ねて書き残しておきたいと思います。

文章のみの投稿が続きますがご了承ください。。


4月15日の朝、北海道に住む親戚のTELで目が覚めました。

テレビでは最大震度を記録した益城町の様子や高速道路が寸断されたというニュースが流れています。

度重なる余震で何度も目が覚め熟睡できませんでしたが、すぐに着替えて外に飛び出しました。行先は近所のスーパー。

外の様子を確かめることと、食料の買い出しが目的でした。

大きな震災が起こった後は決まって食糧難になります。

今後電気や水が止まるかもしれないし、益城の家族も加えて8人分の食品をゲットしておかなくてはなりません。

町の様子はいつもとそんなに変わらないように見えました。

24時間営業のスーパーに着くとドアは閉まり店員さんが神妙な面持ちで首を横に振っているのが見えました。

「開店のめどはたっていません」とのこと。

すぐ隣にあるコンビニに入ります。

まだ7時前だというのに食料品は売り切れに近い状態でした。

慌てて大通りから少し外れた別のコンビニに向かうとやはり惣菜やパンの陳列は空っぽ。

辛うじてジュースとカップ麺を少しゲットできました。

常備している保存食もあるのでひとまず大丈夫とほっとしつつ、今度は益城町にあるパパの実家に向かおうと義母にTEL。

「家は倒壊していないけど道路が寸断されてて身動きが取れない。ここは危ないから来ないで」と言われ携帯の充電がわずかだからとすぐに切れてしまいました。

パパと相談するため一旦帰宅。


パパが益城入りをして両親を迎えに行くことにしました。

益城の光景は今までとは全く別物でした。

家屋が倒壊し、道路が断裂。車が通れないので途中からは徒歩で実家に辿り着いたそうです。


テレビをつけると知っている町が目を見張る光景となって映し出されています。

被害は益城町に集中していました。

義母が「なんで益城だったんだろう…」と呟きました。

なんで‥なんで私たちだったんだろう・・

被災した人はみんなそう思ったんじゃないでしょうか?

ついさっきまで当たり前に過ごしてきた生活が突然、ほんの一瞬でなくなってしまうのです。


夕方には自宅の方でも水が止まりました。

サバイバル生活が始まります。


この日ヨメコは夜勤で、家族と離れ夕方には職場に向かいました。

度重なる余震の中、本震がまだ来ていないなんて少しも疑わずに…




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ずいぶんとお久しぶりの投稿になります。
i-cubeに住み始めて4年。
アフターフォローの担当の方に恵まれたこともあり、快適な生活をしていましたが…
この度の熊本地震に見舞われ、愛しの住まいにも打撃を受けました。
地震保険の申請や今後の補修に向けて、また私自身が今回の経験を風化させてしまわない様、備忘録として少しずつブログを再開していこうと思います。

ヨメコ邸は熊本在住、ブログをお休みしている間に新たな家族に恵まれ、今はパパと私、10歳のかい君と3歳のりゅう君、1歳のはる君の男三兄弟の賑やか家族となりました。

午後9時26分マグニチュード6.4 最高震度7の最初の地震が発生
携帯の緊急地震予報のアラームが怖いくらいに鳴り響きました。

私は1階の和室でかい君とりゅう君と三人で空手のミットうちの練習をしていました。
子ども達をかばいつつ最初は悲鳴を上げていましたが、あまりに長く揺れるので段々冷静になってきたヨメコと長男のかい。
「揺れが収まったら避難経路確保してくるから」と言うと
「うん。俺がりゅう君安全なとこに連れてくけん」とかい。
玄関を確認して避難道具を取り出し戻ってくると、二人で床の間に避難していました。
実は去年の夏休みの自由研究で地震について調べていたかい。
家族で避難訓練をして部屋ごとの安全な場所を確認していました。
その甲斐あってか割と冷静な子供たち。
「お風呂に水を溜めてくる!」と言うと「ママ、その前にガスを消して!」とアドバイスが飛んできます。
うち、オール電化なんだけどね(笑)

シャワーを浴びていたパパと末っ子のはるが裸で出てきました。
上二人も下着姿でこんな姿じゃ逃げられない!
慌てて服と靴下を着せながらテレビをつけました。
電気が止まらなくて良かった。
わが家の地域は震度6強。
パパの実家の辺りが最も震度が強く、母に電話するけど繋がらない。

ペットボトルや鍋にひたすら水を溜めつつ近所に住む友達に連絡。
「生きてる?」
「こわい」
旦那さんが仕事で娘と二人っきりだったのでヨメコの家で一緒に過ごすことにしました。

何度も強い余震が襲ってくる。その度に皆で身を寄せ合い悲鳴が上がりました。
そんな中、妙に力を発揮したのが小4のかい君。
布団を持ってきてみんなの頭の上にかけてくれました。
落下物から頭を守る効果は少ないけれど何となくほっとします。
余震の合間には避難道具に弟達のおもちゃを追加したりすぐに出られるよう靴を準備したり‥
アドレナリン大分泌で思いつくことを次々実行。
案外、レスキュー隊に向いているかも入れません。

ようやく義母に携帯が繋がり両親と祖母も怪我はなく車中泊していることが分かりました。
実家は倒壊はしていないけれど中は分からないとのこと。

その夜は吹き抜けのあるリビングに布団を敷いて眠りました。

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この時の被害は寝室に置いてある熱帯魚の水槽の水がこぼれたこと。
壁にかけていたブーケや写真が落ちたこと。

食器棚にはロックがかかり食器類が割れることもなく、避難経路や寝床の確保に支障をきたすことは全くありませんでした。
やっぱり作り付けの家具は強い!
余震は怖かったけど家の安定感は抜群だったように思います。
家が壊れるかもという恐怖は全くなく、逆に外に出ることに不安を感じていました。

デモ本当の恐怖はまだこの先にあったのです。