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4月15日の朝、北海道に住む親戚のTELで目が覚めました。
テレビでは最大震度を記録した益城町の様子や高速道路が寸断されたというニュースが流れています。
度重なる余震で何度も目が覚め熟睡できませんでしたが、すぐに着替えて外に飛び出しました。行先は近所のスーパー。
外の様子を確かめることと、食料の買い出しが目的でした。
大きな震災が起こった後は決まって食糧難になります。
今後電気や水が止まるかもしれないし、益城の家族も加えて8人分の食品をゲットしておかなくてはなりません。
町の様子はいつもとそんなに変わらないように見えました。
24時間営業のスーパーに着くとドアは閉まり店員さんが神妙な面持ちで首を横に振っているのが見えました。
「開店のめどはたっていません」とのこと。
すぐ隣にあるコンビニに入ります。
まだ7時前だというのに食料品は売り切れに近い状態でした。
慌てて大通りから少し外れた別のコンビニに向かうとやはり惣菜やパンの陳列は空っぽ。
辛うじてジュースとカップ麺を少しゲットできました。
常備している保存食もあるのでひとまず大丈夫とほっとしつつ、今度は益城町にあるパパの実家に向かおうと義母にTEL。
「家は倒壊していないけど道路が寸断されてて身動きが取れない。ここは危ないから来ないで」と言われ携帯の充電がわずかだからとすぐに切れてしまいました。
パパと相談するため一旦帰宅。
パパが益城入りをして両親を迎えに行くことにしました。
益城の光景は今までとは全く別物でした。
家屋が倒壊し、道路が断裂。車が通れないので途中からは徒歩で実家に辿り着いたそうです。
テレビをつけると知っている町が目を見張る光景となって映し出されています。
被害は益城町に集中していました。
義母が「なんで益城だったんだろう…」と呟きました。
なんで‥なんで私たちだったんだろう・・
被災した人はみんなそう思ったんじゃないでしょうか?
ついさっきまで当たり前に過ごしてきた生活が突然、ほんの一瞬でなくなってしまうのです。
夕方には自宅の方でも水が止まりました。
サバイバル生活が始まります。
この日ヨメコは夜勤で、家族と離れ夕方には職場に向かいました。
度重なる余震の中、本震がまだ来ていないなんて少しも疑わずに…