地震のあった翌日の4月15日、夜勤に行くといつも通りの日常が続いていました。
やはり被害は益城町に限局していてその他の地域ではまだ大きな困難もなく“被災した”という意識がほとんどない様に思いました。
こんな時なのにバカなヨメコは携帯の充電器を二つとも持ち去り、しかも肝心の携帯を家に忘れてくるという失態をしてしまい、パパが子供たちを連れて職場まで届けに来てくれました。
自分のミスはさておき束の間でも家族の顔を見るとホッとしました。
それから数時間後・・
落ち着いた夜勤でヨメコは1時過ぎに仮眠を取りにベッドに入りました。
電気を消して間もなく…
ドーーン!!という突き上げるような衝撃が走り直後に激しく横に揺れました。
1時25分、熊本地震の本震が起きたのです。
揺れが収まるのを待って廊下に飛び出しました。
患者さんが数人廊下に出てきていました。
消火器が転がりなぜか防火扉がすべて閉まっています。
異様な光景に一瞬足がすくみました。
「状況を確認してスタッフが指示を出します。待機してください」と話してナースステーションへ。
生体監視モニターやパソコン、棚にあったはずのあらゆるものが落ち、居残りしていたスタッフが呆然としていました。
ここにいた彼女が一番危険だったに違いありません。なぜか水浸しになっている所もありました。
スタッフの無事を確認すると手分けして各部屋の安否確認に向かいます。
ポットが転がったりストッパーがかかっているにも関わらずベッドが移動している部屋もありましたが、けが人はいませんでした。
建物に大きな損傷はなさそうなので屋外へは出ず室内待機とし、各部屋のドアを開けて浴槽に水を張りました。
何度も何度も強い余震が襲ってきました。
その度に携帯のサイレンが響きます。
家族に電話するけど繋がらない。
昨日の地震の時、「怖かったけど家族と一緒だったから良かった!」と話したことを思い出します。
こんな所じゃ死ねないと思いました。
死ぬなら家族のそばがいい。
さっき携帯を届けてもらったことが遠い昔のことのようでした。
余震の度に巡視し一人では逃げられない術後の患者さんのもとで待機します。
外は停電しているようでした。
自家発電している病院の駐車場に避難してくる車が押し寄せてきました。
しばらくしてパパと連絡が取れました。
家族も家も無事のようです。
ただ寝室の水槽が割れて水浸しになっているとのことでした。
テレビを見るとダムが決壊し阿蘇大橋が崩落したというニュースが流れています。
言いようのない不安と焦燥感、そしてどこか冷静な自分がいたのはやはり頭が仕事モードだったからでしょうか。
夜が明けてくると今度は電話がひっきりなしになり始めます。
避難所などで体調不良を訴えて来院される患者さんの対応にも追われました。
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私が病院で走り回っている頃…
自宅の方では大参事と小さな奇跡が起きていたようです。
パパの話によると・・・
ドーンと突き上げる揺れを感じた瞬間、ガラスが割れる音と大量の水がベッドを濡らしました。
ベッドの正面に置いていた60cmの水槽が地震の衝撃で落ちて破損したのです!
パパと子どもたち三人がベッドに寝ていました。
1階から祖母と両親の叫び声。
辺りは真っ暗でした。停電しています。
パパが1歳の末っ子を抱えて立ち上がると、3歳のりゅうが「りゅう君を置いて行かないで!!」と叫んだそうです(笑)
4年生の長男かいが「俺が抱っこするけん!」とりゅうを抱っこして暗闇の中、階下へ。
後から部屋を見てぞっとしました。
部屋中に水槽の破片が散らばっていて暗闇の中を裸足で怪我一つなかったのは奇跡だと思います。
水槽の水は廊下にまで流れ込み、部分的に一階まで水漏れしていました。
漏電を恐れてブレーカーを落としました。
テレビが倒れていましたがローテーブルとテレビ台をくっつけていたおかげで落下を免れ、しかもテーブルの上にあったおしり拭きがクッションとなって損傷もありませんでした。
大きな余震が続きましたが家がつぶれるかも‥という恐怖は誰にもなかったそうです。
わが家に於いて外へ避難、車中泊という選択は皆無でした。
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長い夜を終え、朝が来ました。
次勤者が来れなければ夜勤日勤かと覚悟しましたが、引継ぎができるくらいの人数は集まりました。
皆心ここにあらず。こんな状況でも働かなくちゃいけないなんて…
医療系の苦悩でもあります。
同じく医療系のパパもこの日は勤務で感動の再会はお預けでした。
家に帰り、ようやく子ども達を抱きしめてほっとします。
家族が元気で家があること。
当たり前のことではなくとても幸せなことだったんだなぁと思いました。