「宮沢賢治を語る河川敷の石」
私は多摩川河川敷の土手にあるものです
ゴロゴロした大小の石が
あたり一面に散らばっています。
時折、散歩に訪れた人間たちの歩きを煩わせますが
悪気はないので許して下さい
ただ、そこにあるだけなのですから。
そもそも、ここは本来、川底にあるべきで
数十年前から人間が川を堰き止めてしまい
こんな具合になってしまっているのです。
山から削り落とされた時は握り拳ほどの体格でしたが
今では親指ほどになってしまいました
時の移り変わりというものでしょうか
いいえ、それを悲しんでいるわけではないのです
むしろ逆なのです。
ここに落ち着いて六十年ほど
もうここで過ごすのにも飽き飽きしました
一年が二年、そして三年と退屈な日々なのです。
かといって雑草ごときにこの場を譲りたくもない
つまらない意地です。
時々、気まぐれな人間たちが小石を手に取り
川に投げ入れるという遊びに興じていますが
私もつくづく、川の中に投げてくれないかと思うのです。
できることならば川の流れに身をまかせて
海にたどり着き、時の移ろいと共に砂と化したいものです。
わかっていただけますかね
待つだけという辛さというものを。


