今日、明日(7月9日、10日)の2日間は浅草のほおずき市クラッカー


生涯学習のナオキャン-ホウズキ1

ナオキャンは、今年初めて出かけました。


ゆっくりと日が暮れていく中で、屋台の裸電球に照らされる大量のほおずき籠、たわわなほおずきの実、ずらりと並ぶ風鈴、、、

どれもこれも風流で、同じような屋台がずらりと並んでいるにもかかわらず、飽きないですね。



生涯学習のナオキャン-ホウズキ2

何でも、浅草寺は、この期間におまいりすると、4万6千日分お参りしたのと同じ功徳を得られるという言い伝えがあるとかひらめき電球


浴衣の方も多いと聞いて、今年初の浴衣に袖を通して出かけたら。。。


台東区のケーブルテレビの取材に遭遇、インタビューに答えてきました。

(私はCS映らないから確認できないのが残念ですが)


結局、お土産に籠入りの大振りなほおずき(金魚柄の風鈴付)を購入。

2千円でした。




帰りは浅草らしく、今半ですき焼きを食べたのですが、

なんと、前菜にほおずき発見目



生涯学習のナオキャン-今半ホウズキ

もみじの下の朱色のやつです。

いやいや、老舗の和食は風流ですねーラブラブ



ほおずきといえば、


映画「陽炎座」映画


「ほおずきの実を口の中で鳴らす音は、オンナの叫び声なのです」

みたいな意味の象徴的な台詞があったなーと。


ラストシーンは水を張った大盥の中に沈む大楠道代の口から、

朱色のほおずきの実が一つ、二つ、、、最終的には水面いっぱいに吐き出される映像。


独特の色調の大正着物(銘仙?)と、鮮やかな朱色で作られる映像が、なんとも艶かしい感じで頭に焼きついています。


買ったほおずきが全部赤くなったら、真似してやってみようかしら!?

不況続きだと、原点に返りたくなって古典が好まれる!?


先日アマゾンで注文した、古典が4冊到着音譜



というのも、

6/27日号の週刊東洋経済で、

「古典が今、おもしろい!」

という特集が。


古典好きのナオキャンはもちろん即買い。


著名な財界人、研究者、作家などなどが、

自身の選ぶ古典の名著を紹介本



経済誌だけに、

マルクス、ケインズなどの経済学者の著書はもちろん、

「十八史略」や「論語」などの中国古典、

啓蒙思想などなどたっくさん、沢山に紹介されてました・・・。



漱石やゲーテ、ドストエフスキーなんかも一応あったけど、

触れ方がやはり浅い。。。だって、東洋経済だもんね。


論文よりも哲学書、哲学書よりも文芸作品を読むことが多いので、かなり戸惑う。



その中で、必読本をいくつか読んで見ようと選別にかかる。。。が、

多すぎる叫び!!


しかも、資本論や十八史略は読みたいけど、手を出すには長すぎる。(一体何年かかるのやらって)



そこで、とある先人雑誌を渡し、


この中で私の必読と思われる書籍を教えてください!!」


なんてことをやってしまった。




いくつか既読のものもあったので、

そこで選んだ4冊。



1、魯迅/阿Q正伝

2、カント/永遠平和のために

3、石橋湛山評論集

4、マックス・ヴェーバー/プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神



イメージ的に、背伸びした感も、、、読めるのだろうか。。。


割合古い訳のが多いが、

長く刷られているだけに、読むべき訳なのかという判断に基づく。



しかし、いくら書物を開いたところで、

いくらそれらに書かれている知恵を期待したところで、

そこに救いはないらしい。

(たしか、オネーギンにそんな一節が)


読書は基本、ただの時間つぶしなのだべーっだ!


週刊 東洋経済 2009年 6/27号 [雑誌]
¥720
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金曜日の石川先生の漢詩講座で習った、素敵な言葉。


「神韻縹渺」チューリップオレンジ


意味は、

非常に味わい深い、とか

非常に風情がある、とか

そういう意味合いらしい音譜



「画龍点睛」

という言葉がありますが、

龍の絵を書く際に、わざと目玉をかかないで置いた人がいて、

目玉をかいてしまったら、本物の龍になって点に昇って消えたというこのお話、


わざと目玉を描かない、

少しはずした感じも

「神韻縹渺」

だったりするとか。


少しはずした感のある、余裕や遊びは、

風情や味わいに不可欠だとか。


そして、

これらの言葉が生まれた、遥か昔の中国貴族社会では、

もっとも避けるべきだとされていたのが「野暮(やぼ)」で、


何が「野暮」かというと、


・すぐにムキになる

・忙しい

・根を詰める


が、野暮の代表格らしい。


根を詰めると、最終的に、

貴族社会では低く見られてしまうとか。


少しはずしたくらいが、ちょうどよく、

そういう余裕がなくては、

「神韻縹渺」も感じられないとのこと。


何か納得ひらめき電球

野暮は避けたいですね・・・



孔子先生も論語で「中庸」を徳だと言ってますが、

この「過不足なく偏りのない」徳こそが理想的だが、案外難しい。


洋服でも、何でも、がんばりすぎると逆に野暮ったくなることは多いはず。


遊びのある、少しはずした感覚は、

将た素敵無からんやドキドキ


※この「将た(はた)~らんや」も、ぼんやりした表現で風情があるらしいです。



漢詩をよむ 陶淵明詩選 (NHKライブラリー)/石川 忠久
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