就活の時、ライブに行けなくなるのはやっぱり嫌だなぁと思って、土日休みと給料の良さを見て、まったく興味も知識もない今の職を選んだ。
あとバイトとオタ活に明け暮れてろくに就活していない中内定をもらえたからっていうのもある。

いざ社会人としての生活が始まると、研修を受けてもよく分からない、何も知らない世界。
専門的な部分もあって、自分がどこまで手を出していいのか、自分に何ができるのか、何をしたらいいのかわからない。
唯一できたのは愛想良く挨拶をするくらい。
職場の皆さんは本当に優しくて素敵な人ばかりで、それが余計に申し訳なくて…。
行動するべきなのはわかっているのにできない自分を心底軽蔑した。
転職も何度も考えた。
たいした仕事もしてない癖に、しっかり給料だけはもらって、ライブに行った。
ライブを、推しとの時間を楽しんでいる間は、幸せだけが私を満たしていた。
嫌な自分を見ないで済む時間だった。
そうやって目を背けて、心を休ませていたと思う。
迷いながら、時には今できることだけでももっと頑張ってみよう!と奮起して、やっぱりたいしたことは出来なくて自分が嫌になって…。
その繰り返しで3年目を迎えた。
3年目も半分終わろうかという時、コロナの自粛生活でライブに行かない生活が続き、仕事について考える時間が多くなった。
私は本気で転職に向けて動いてみようと思った。
会社には別の部署があり、会社内で違う職種にも就ける制度があって、それについて話を聞きに行ったりした。

ちょうど同じ時期に、私のような立場の職員をまとめている人事からのメールがきた。
"3年目も後半ですが、仕事はどうですか?皆さんの今の仕事の様子や気持ち、何でもいいので教えてください。"
私の立場の職員は、それぞれの職場によってかなり仕事内容が違っている。
専門的な部分を勉強しながら手伝っている人もいれば、専門的な知識が必要ない部分で働く人もいる。
私はどちらかというと後者だった。事務的な雑務やPC業務が主で、時々専門職のちょっとしたお手伝い。その中でも、オタクして生きる中で培ったPCスキルは微力ながらも役に立っていたと思う。
PC業務の中で、とあるソフトを使った業務がわりと好きだった。周りからもそのソフトが扱えることに関して良い評価をもらえたりもした。
私は人事に
・転職も考えていること
・会社に部署異動の話を聞きに行ったこと
・今やっている業務の中ではとあるソフトを使った仕事が好きな事
・もしそのソフトでの業務に専念できる道があればその道を選びたい事
を伝えた。
結局、コロナの影響もあって転職は厳しいこと、他部署の業績も芳しくなく部署異動は会社的にもあまりオススメできないことがわかって、とりあえずもうしばらく続けてみるか…という事で一旦落ち着いた。

それから1ヶ月ほど経った時、その人事から連絡があった。
「別の職場で、ちょうど(私)さんがやりたいって言ってた業務ができる子を探してるんだけど、やってみる?」

話しといてみるもんだなと思った。
でも、その業務をするなら職場は変わることになると言われた。

今私はわりと東京に近いところにいる。
定時で退勤して新幹線に飛び乗れば、平日の夜のイベントも行けるような距離。

新たに提示された場所は、東京からなかなか距離が離れる場所だった。

迷った。
どうしても私は、人生の選択肢の中に大好きな彼らを入れてしまう。
平日のイベントは難しくなるだろうけど、すごく辺鄙な場所ではないしきっと土日のツアーをまわるのにはそんなに支障はないだろう…でも…。
悩んでいた中でふと、思い出した。

『みんなの"日常の中"で俺たちが支えになれたら』
『"あなたのおかげで頑張れる"って言ってもらえるのが嬉しい』

そんな彼らの言葉。
せっかく巡ってきた機会を、自分にとって良いと思える選択肢を、彼らを理由に棒に振る事を彼らは喜ぶだろうか。

自分の人生をちゃんと大事にして、胸を張って大好きな彼らに会いに行ける自分でありたい。
と思った。

もし辛くなっても大丈夫だと思えた。
だって私は、彼らを想えばいつだって幸せを忘れないでいられるから。

そんな風に考え始めた頃にあったペアライブ。
終盤に歌われた『オーロラ曲技団』。

" さぁ、次はきみの番だよ "

その歌詞が、初めて自分に向いた気がした。




現在、まだ本決まりにはなってないが、徐々にやりたい業務をやらせてもらえる方向に向かって話が進んでいる。
ありがたい事に東京から遠ざかることもなくなりそうだ。

まだどうなっていくかわからないけど、次に彼らに会えた時には「私頑張ってるよ!」と、胸を張って言える私でありますように。