高級官僚の虚偽答弁に接して | hello-candy-candyのおかりなブログ

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ひねもす土の音(オカリナ)の響きに興をもよおせど、しばし徒然なるままに由無し事を綴りけるなり。

 1日1曲ずつオカリナを演奏しています。

  今日の曲は「シチリアーナ」です。

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  高級政界人の文化水準は私とは違う

 

 かつて、総務省高級官僚が、東北新社に勤める、菅元首相の長男正剛氏を通じた通信事業便宜供与に関与していた疑いを否認から一転、認めたとのニュースに、相も変らぬお役人の虚偽証言は今でも腹立たしさを覚える。一晩で虎ノ門で74,000円/人、人形町で47,000円/人の豪華接待もさることながら、山田真貴紀子内閣広報官らも同席していたことに癒着ぶりがうかがわれた。安倍元首相や佐川元国税庁長官の国会答弁虚偽をはじめ、どうしてこうも昔ならば尊敬されるべき立場のお偉方の人間性が、劣化したのだろうか。いや、あれだけ堂々と不誠実な発言を公言できる心性から逆算すると、当人は正当に対応していると信じて疑っていないはずだ。

 

  だが、心根は所詮同じだ

 

 しかし、これが我が国の実態だ。名だたる家柄や教育を受けて人の上に立つ役職、もしくは、一目置かれる立場だけに余計、たちが悪い。が、我が身を振り返ると、いくら彼らは社会的影響力のある人間、こちらは、一介の市井人に過ぎないと言って見たところで一蓮托生だ。同じ空気、制度の下に育った人間であり、考えていることに立場の差ほど、彼我の差はない。これが公費で生活している、天皇ほどの別世界の人だと、世人とは根本がちょっと違うだろうけれど。

 

  劣化した原因を探ると

 

 どうしてこんな人間、日本になってしまったのだろうか。戦後民主主義や平和憲法がその発端とよく言われる。その通りだと思うけれど、今一つ、ガテンがいかない。考えてみるに、私は大本営発表がその根源ではないか。前線で部隊が全滅して戦況が不利なのに、実態を公表せず、好戦し勝利が近いかのごとき欺瞞の公表をする。それを一番信頼する国が行った歴史的事実は、私の心の奥底に厳然としてある。

 嘘つきは泥棒の始まりだと、私は子供たちに忠告したことがないし、出来ない。私が推察するもう一つの原因は、「個人尊重」と「疑わしきは罰せず」だ。個人尊重を自分尊重と理解する。疑わしきは罰せずを証拠がない限り罰せられないと理解する。だから相手が証拠を掴んでいないと踏んだならば、本当のことは言わず、シラを切ることも正当防衛として許容されるとして言動する。

 

  頭の良し悪しと人間性は全く別だ

 

 私は頭の良し悪しは、言い訳の巧みさで判別している。この人は頭がいいなぁと感心するのは、その言い訳のとっさの絶妙さだ。その逆はいかにも嘘だとわかる言い訳を真面目顔にいう人だ。自民党安倍派のパーティー券資金の還流問題における歴代幹部の答弁は、まるでタヌキのそれのようだ。何はさておき人間性が問われる政治において、人間性が疑わしい人たちのふるまいを目にするにつけ、残念ながら我が国ではこれからも虚偽事案は続くと思う。
 



▼Myオカリナ演奏

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シチリアーナ