歴史にifはないけれど | hello-candy-candyのおかりなブログ

hello-candy-candyのおかりなブログ

ひねもす土の音(オカリナ)の響きに興をもよおせど、しばし徒然なるままに由無し事を綴りけるなり。

 1日1曲ずつオカリナを演奏しています。

  今日の曲は「気球に乗ってどこまでも」です。

  このブログの最下欄にリンクが張ってあります。

 

 

 

  もし日本が戦争に勝っていたら

 

太平洋戦争で日本が敗戦していなかったならば、今頃私はどのような人生を歩いただろうか、とふと考えることがある。敗戦していなかった場合とは、日清戦争の様な完勝か、あるいは日露戦争のような辛勝か、になるだろう。米国が無条件降伏することは、考えられない。せいぜい、ベトナム戦争の時のように米国内の反戦世論の高まりで、日本が辛勝か停戦となることが考えられる。いずれにしても、皇国という国体と、軍事政権が存続し、東アジアを日本が植民地支配し続けていたとしたら、一体、私の人生にどのような影響が生じていただろうか。開戦時の狙い通り、東南アジアの天然資源を潤沢に搾取できて、日本人は経済的に豊かな生活を送れるようになっていただろうか。

 

  負けてよかったとは口外できないが

 

 戦後の世界の歴史が教えてくれるところによれば、遅かれ早かれ、植民地支配下に置かれた東アジアや東南アジアの国々での民族反乱に悩まされることになっていただろう。その際、軍事政権下、日本国内は自由な発言ができない、警察国家になっていただろう。植民地の弾圧のために、強大な軍隊が組織され、東アジア各地に派遣されていることだろう。軍人も半端な数では済まないので、国民に徴兵義務が課される。しかも、各地では民族の暴動が常に発生するので、精神的にも肉体的にも過酷な日々が続くことになる。それはまるで、現在の中国人民の暮らしようだ。こう考えたとき、私は、日本が太平洋戦争で負けて良かったと言わざるを得ない。が、そんなことを口外して良いのだろうか、と自問が続く。



▼Myオカリナ演奏

ダウンダウンダウンダウンダウン

気球に乗ってどこまでも