最後まで心穏やかに生きる極意 | hello-candy-candyのおかりなブログ

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ひねもす土の音(オカリナ)の響きに興をもよおせど、しばし徒然なるままに由無し事を綴りけるなり。

アメリカ人には、肩こりは無い。なぜかと言えば、肩こりに相当する単語がないからだ。彼らは肩が痛いと認識するらしい。ナポレオンの辞書には、「不可能」という単語は無いという。自分の辞書から「比べる」を無くしたらどうか。

 1日1曲ずつオカリナを演奏しています。

  今日の曲は「埴生の宿」です。

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  該当する言葉がないと認識もできない

 

 かつて職場にいたアメリカ人の知人がある時、昨日遅くまで仕事をしたので、肩が痛いと言った。寝違えたか、筋をひねったのかと聞くとノーだという。英語には「肩が凝る」に相当する単語がない。結局、肩が凝っているのだと知った。このようにぴったり当てはまる単語が無いと、その自覚もできない。

 

  なぜ「比べる」か?

 

 今の私にとって幸せになれるとっておきの近道は、「比べる」という単語を自分の辞書から捨て去ることではないだろうか。人は他人と比べることから、不幸を自覚する。あの人は自分よりお金をたくさん持っている、自分よりも立派な家に住んでいる、自分よりも会社の相当偉いサンなんだ、などと自分にないものを羨み、妬み、それに引き換え自分のふがいなさや不足を嘆く。比べるということをしなければ、あの人はこういう人なんだと単純に事実を知るだけで済む。AさんはAさん、BさんはBさん、CさんはCさん、自分は自分と、他者と比べることなく単純に認識するならば、心はどれほど軽く、ゆったりとできるのではないだろうか。早速、残る人生で実践し、極めたいと思う。

 

 

  我が家は埴生の宿だ

 

 手始めに、我が家を遠くからつらつらと眺めると、まさに埴生の宿だ。開拓時代のアメリカの民謡がある。どんなに遠く離れても、思い出すのは懐かしい我が家のことだ。たとえその家がどんなボロ屋であろうとも、というのが歌の主意だ。私はこの埴生の宿という歌が大好きだ。この歌で私は埴生の宿とは、粗末な、みすぼらしい家という意味だと知った。
 



▼Myオカリナ演奏

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埴生の宿