時折、自身がオカリナを吹く上での課題を自省し、見える化することは、闇雲に曲を何回も吹く練習よりも、効果的で有益なことだと思う。現在の私の課題を考えてみた。 1日1曲ずつオカリナを演奏しています。 今日の曲は「ガブリエルのオーボエ」です。 このブログの最下欄にリンクが張ってあります。
(1)スラーの吹き方があいまいだ
「スラーとは、高さの違う音同士をなめらかに演奏せよとの指示で、繋がれた最初の音だけタンギングし、残りの音はタンギングせずに演奏します。」と解説してある。が、私は時には指示通りにスラーで吹いたり、時には無視したりと、いい加減だ。理由は、スラーを付けて吹いた時と、付けずに吹いた時の滑らかさなるものの違いが、余り感じ取れないからだ。これがタイの場合であれば、その有無は明白に違うから、当然無視できない。 元来、スラーという音楽記号は、作曲者がオリジナルの楽譜を書いた時点でつける場合と、編曲者が自分なりに曲を解釈して付けるものがあるという。確かに同じ曲の別々の楽譜を見比べると、一方は音符が並んでいるだけののっぺらぼうだが、他方は、矢鱈スラーがかかっているということがある。実は私のオカリナの師からも、かつてオカリナでは音の粒がぼやけるからスラーは余りかけないようにと言われたような気がする。事程左様にスラーの解釈は多様だ。要は自分の気持ちの入れようという、何とも哲学的あいまいさが私のスラーの吹き方に対するあいまいさの原因にもなっているようだ。一方で、気を抜くとスラーの次の音、即ち、スラーがかかっていない音のタンギングを忘れがちになることも要注意だ。
(2)低いドの音程が上ずって#ドになる例えば、ソ→ドと音が下った時に、ドが下がり切らない。低い方のドシラはどれもその傾向だ。理由は、息が強すぎるからだと言われた。確かに息を弱めると下がり切る。音階を下がるにつれてローソクを近づけて吹き消すように、息圧を弱めよとは言われる所以だ。が、今まで実行できていないのが実態だ。その裏には半音程度はどうでもいいではないかとの甘えが隠れている。やはりチューナーで音程を確認する一手間を惜しんではならないということだ。
(3)息継ぎ箇所がいい加減だ
これもどこで息継ぎしようが関係ないとの甘えが隠れている。そもそも息継ぎ箇所の指示のない楽譜がある。それに一人で吹いている時はどこで息継ぎしようがあまり関係ないとの意識もある。だが、合奏の場合は、各人の息継ぎ箇所がばらばらだと、音楽性もバラバラになってしまうということだろう。
(4)指回しが遅れ楽譜のリズムと異なる
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