1日1曲ずつオカリナを演奏しています。 今日の曲は「想い出がいっぱい」です。 このブログの最下欄にリンクが張ってあります。
私たちの日常は、音楽にどっぷり浸かって切り離せない。その有難味も感じられないけれど、たまには音楽のことにちょっと気を向けてみることも案外無駄ではないと思う。
普通のセリフが音楽によって変身
ストーリーを追うともなく、TVに映るドラマを見ていたら俳優がセリフを言った。ごく当たり前のセリフだった。が、背景に音楽が流れた途端、胸がキュッとしめつけられ、感極まって涙ぐみそうになる。 その場面に似た経験が実際にあったわけではないのに、自分の心の中のある琴線に触れて、勝手に想像してしまう。音楽がいかに感情へ直接的に働きかけることか。 あの場面で音楽が流れなかったなら、多分何の変哲もない場面となり、見過ごしたと思う。それが静かで切ない音楽が流れた途端、ドラマのストーリーを瞬時に読めたような気がした。
どれだけ音楽に助けられているか
音楽のない日常生活の中で感情が動いたことは、つい二週間ほど前、脳梗塞で倒れた知人にばったり出会い、やぁと挨拶した。言葉を失い、杖を突くおぼつかなさだが、元気そうな顔色に日頃のご苦労がしのばれた時ぐらいだ。 音楽の助けのない点では舞台役者も難しい。言葉一つで心の内面を表現するのにどれほど修練を積むことか。それこそ千両役者と大根役者の違いがその一言に現れる。
オカリナの音は自然に溶け込む
先日のオカリナ野外コンサートで午前の部と午後の部の合間に、時間つぶしに手持ちの練習曲を吹いていたら、人が立ち止まり、耳を傾けてくれる人がいた。 期せずして人前で演奏する形になった。言葉が要らない音楽はいいものだ。特にオカリナは土で作られているだけにより自然な音色だ。トランペットのような金管楽器のきらびやかさとは明らかに違う。
下手なりにオカリナの音が心に届く瞬間
以前、木陰でオカリナを練習していたら、若い女性が、ここで聞いていてもいいですか、と言って背を向けてベンチに座り、しばらくしたらすすり泣く声が耳に入った。 私はあえて気にも留めない風を装った。上手下手ではなく、オカリナの音色そのものが彼女の何かの琴線に触れたのだろう。普通の人間にとって、他人の心に直接訴えかける機会など殆どない。その点、私には人前で演奏するオカリナ・コンサートなどを通じて、この音楽の効果というものを自ら発揮できる機会がある。これは得難いことであり、とてもうれしいことだ。
▼Myオカリナ演奏 想い出がいっぱい (H2O唄)
|