どれも硬かったです。
2022.3
構内食堂で昼食をいただいた後、善通寺に寄りました。善通寺は四国八十八ヶ所霊場
第七十五番札所です。参拝を済ませて久しぶりに熊岡菓子店に寄りました。
熊岡菓子店の名物はカタパンです。硬いと言っても食べ物なので、
硬さはそれほどでもないだろうと思っていたら大間違いです。
石パン、小丸パン、角パンを購入しました。
どれも硬かったです。
共通していえるのは『硬い』です。それと、パンとは何故とも思ってしまいます。
相方と二人でいただき、変わらぬ硬さを感じました。歯が弱い方は気をつけていただいた方が
良いと思います。
風情を感じる佇まいは変わらなく、ショーケースのレトロ感も好きな雰囲気でした。
お土産に喜ばれるかは分かりませんが、硬さがあるので話題性はあると思います。
歴史のあるお店なので現在のままでこれからも営まれてほしいと思います。
ーPCでしか見れませんがまとめです。-
パンと甘未 平蔵:熊岡菓子店
善通寺
旅と趣味 平蔵:四国八十八ヶ所霊場 第七十五番札所 五岳山 誕生院 善通寺
2014.2
相方と二人で買いに行きました。
善通寺を散歩している際にこのお店の看板を相方が見つけました。
”本家かたパン”フジテレビのアナウンサーではありません。
自称パン好きの相方は、看板のパンの部分を見てパン屋さんだと思ったようです。
お店に近づくにつれてパン屋さんではない事が分かりました。
みれば懐かしく思える駄菓子屋さんのようなお店で、確かにパンがありました。
パンはパンでもかたパンです。他にもあるのかもしれませんが、
行った際にはかたパンの種類が3種類見えました。
石パン、角パン、丸パンで何れもかたパンです。まぁ硬いのだろうと思いましたが石パン?
さすがにそれを買おうとは思えませんでした。
家に帰りかたパンについて調べてみました。看板に書かれていた”本家かたパン”とは・・・
かたパン自体を知らない私は何の事やら本家があるなら分家もあるのかなどと思いました。
かたパンとは『堅パンの歴史は古いが、何時生まれたのかは定かではない。
軍隊では携行食糧として重宝された。日本には幕末の西洋兵学と共にもたらされ、
江川英龍らが中心となって普及に努めた。江川はこの功績によりパン業界より
「パン祖」と称えられている。戊辰戦争では携帯食料の一つに加えられ、
箱館では製造工房が設けられた。その後は廃れた。
大正末期、官営八幡製鐵所の職員の体力消耗が激しく、
一般のパンでは栄養が足りないためカロリー補給食として普及した。
当初は製鐵関係の店で売られているだけであったが、後に一般販売されるようになり、
子供の顎の発育に良いという意見もあって、北九州市の名物となった。』
これがかたパンの歴史でした。
かたパンの歴史を知り、よくする私と相方の感情表現しか出来ませんでした。
”ふ~ん”と思いました。
丸パンと、角パンと、いもけんぴを買いました。
相方が丸パンを食べて笑い出しました。硬くて噛めないと笑っていました。
んなわけないだろうと私は角パンを食べてみたのですが、
これがびっくりするほど硬いので驚きました。
何なのこれ?でした。味は甘くてお菓子ですが何せ硬かったです。
いもけんぴは懐かしさを感じる美味しさでした。
角パンを何とか半分食べましたが、これ以上食べたら歯が欠けるか傷めると思い残しました。
翌日食べると何と昨日よりは柔らかくなっていました。でも硬いのは硬いです。
いろいろな食べ物があるものです。半世紀を生きて初めてかたパンを知り、
初めてかたパンを食べました。