【神聖編】大衡八幡神社 | 国政報告 おおさか佳巨 福島県[県中]の生活

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世の中に必要なものは必要になります。
例え、今は笑われてもです。
限界が来るものについては、捨てなければ生きていけないからです。

大衡村役場からちょい行ったところの

大衡八幡神社へ参拝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

由緒

 

八幡神社(別名:塩浪八幡神社 大衡八幡神社ともいう)の御祭神 八幡大神は、天文13年(1544年)大崎氏の家臣、黒川下総守景氏の二男である大衡治部大輔宗氏(おおひらじぶだいすけむねうじ)の居城(塩浪館又は越路館)として築城のとき城の鎮守として本丸に奉安された。天正18年(1590年)大衡治部大輔宗氏の子大衡氏胤が城主のとき豊臣秀吉の奥州仕置きにより伊達家の所領となり廃城となり、御祭神は大衡村に在郷屋敷をもつ伊達家中達により現在の社地に遷座されたといわれる。


その後伊達家藩主忠宗に見出された祈祷僧で本山派に属する良覚院修験快真の嫡子有真が、戸田定隆(俗姓戸田長五郎)として19歳で還俗し、寛永八年(1631年)12月大衡村竹ノ内に屋敷をかまえ、松本屋敷の良覚院修験三明院昌元(昌源)と共に村の神社として護持された。