日本は農耕民族だから温厚?欧米は狩猟民族だから戦闘的? そんなわきゃない | 国政報告 おおさか佳巨 福島県[県中]の生活

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悪さしながら男なら 粋で優しい馬鹿でいろ

「農耕民族は植物を育てているので牧歌的だから平和」「狩猟民族は動物を捕らえて殺しているので戦闘的」であり、日本人は農耕民族だから平和でみんなが協力的であるが、欧米人は狩猟民族だから領土を奪い合ってきたんだ、、、などという考えは全くもって間違っています。

 

一部の例外を除き、狩猟民族は戦争をしません。

 

日本には古代、縄文時代を経て弥生時代になっています。私はみてないので、ホントかウソか知りませんが、とにかくそういうふうに学校では教えているので、それに沿って話をするとするなら、縄文時代は、狩猟採集をしていて、弥生時代には農業をしていたようです。

 

縄文人の遺骨には、歯が丈夫で肉を食べていた形跡があり、野蛮人であるかのようにみえます。

 

弥生人の遺骨は、整ってきており、上品な感じがするようです。

 

しかし、弥生人には骨に矢が突き刺さった形跡などがあり、人間同士が殺しあった形跡があります。

 

縄文人にはそれがありません。

 

縄文人はその日ぐらしで、食糧を得ているのでストックがありません。

 

ところが、弥生人は米を作ることを知っているのでストックができます。

 

そうすると、ストックの多い部族は、不労所得に動き出し、働く人間との主従関係が確立されます。

 

そこで初めて政治が生まれるのでしょう。

 

米を自らは作ることなく、それを貯蔵し、人々を支配することです。

 

それで贅沢もできるようになります。

 

欧米の歴史も見てください。一般に「欧米は狩猟民族」と言われるが、そんなことはありません。古代ローマの人々は畑作の農耕民族でしょう。それで戦争をしていました。一方でその欧州の北部にいたゲルマン民族は狩猟をしていた。やがてローマ文明を習って農耕を始めた。そこでゲルマン民族はローマを滅ぼしたのです。ヨーロッパの歴史をみたって、日本が稲作農家から年貢を取り立てたのと同じように、畑作の小麦から徴税していました。なのにどうして農耕が平和で狩猟が戦争などというイメージになっているのか、それは思い込みでしかありません。


アメリカ合衆国だって、オーストラリア・ニュージーランドだって狩猟で暮らしていた先住民を征服したのは農耕民族ですよね?

 

フロー経済である狩猟は、獲物を取っても数日しかもたないですぐに肉は腐ってしまう。ストック経済である農耕は、コメや小麦を貯蔵できるため、貧富の差を作り出し、支配と被支配を作り出し、支配者は他の地域の支配者の富を軍事的に得ようとする。その繰り返しがなされてきました。

そうすると当然、利権が絡んできますから常に争いごとになります。

 

日本国内においても狩猟をしていたアイヌや琉球の民族はむしろ侵略された側であって、農耕の民族が武器をとって支配地域を増やしてきた歴史があり、他国においてはアジア・アフリカでやはりおなじ歴史があります。狩猟民族の武器は動物をとらえるためにありますが、農耕民族の武器を戦争をします。作物を貯蔵できて人々を支配することができるからです。

 

つまり、

「蓄積できる富の存在」

これが戦争の最大要因です。

 

であるのに左派と右派に分かれた現代政治思想は、これを無視し、軍備を拡大したり、あるいは軍備を捨てたりすれば平和になるという二つの考えで延々と決着のつかない論争を繰り広げているのです。

 

だから、現代においてのこの解決方法は、富をストックできないようにし、富は常にフローだけで動く貨幣制度こそが人類を豊かにし、人類を平和に導くことが可能です。導くことが可能と言ったのは、富の問題以外の部分すなわち宗教的対立があるから、それについては、問題は別のところで解決しなければなりません。

 

既存の政治の議論には解決方法はないということです。どれだけ新しい政党が出てきても、維新の会や希望の党は新自由主義経済の焼き直し、れいわ新選組は社会党・共産党の焼き直しです。

 

このように、冷戦時代の遺物である55年体制の安保論争がいまだになされていて、何も進歩していないことを見ればそれは明らかです。日本社会党はなくなっても、立憲民主党がそれとほぼ同じような立場にいて、憲法改正をしたくないとして憲法審査会では改憲を阻止するために頑張っているくらいだから、何も変わっていないということです。

 

そんな対立よりも、まったく別の軸が必要であるのに、旧来の左右両派の意見に惑わされる人ばかりでは何も進みません。

 

自然の摂理に沿わないことをしているから、いろいろな矛盾が出てきます。

 

自然の摂理に従う政治・経済を目指した人に松下幸之助という人がいます。しかし、彼は全く自然の摂理ではない、資本主義経済の原理においての経営方法しかしていません。それは、この時代においてはそれで正しかったのだからいいのです。松下氏の唱えた政策の中にはダム経営論というのがあり、無税国家論というのがありました。税収を貯めて置き、それが利子を生むので将来的には無税になるという構想でしたが、プラス利子の時代には当然考えられる構想ですが、将来マイナス利子になることは見通せなかったようで、今ではそんなことは実現できません。それよりも、なぜ自然万物は消耗していくのに、貨幣だけは増殖していくのか、ここにモノとお金のアンバランスが生まれるのに、そのことについて現代人類は何も疑問を持たずに、既存の経済学を常識として突き進んでいることが問題なのです。

 

このことにより、すべてが経済に支配されています。社会問題のほとんど全てはお金からきています。

 

年金・医療・介護・子育てなどの社会保障問題がいまや政治課題のトップに来ますが、これもひいてはお金の問題です。

 

地方自治体が財政赤字に陥り、消滅自治体も近い将来に続々と潰れていくことが予想されています。

 

教育についても無償化は国民から望まれていますが、現状の財政では全く不可能です。科学技術においては予算がつかない理由も、すぐにお金にならないからということで、すぐさま成功するような研究になら予算をつけるが、成功するかどうかわからないところに予算がつかない現状です。科学技術は多くの失敗に予算を費やすからこそ多くの新産業技術が生まれるのに、財政の紐が固いのでどうにもなっておらず、優秀な研究者は海外に流出するばかりです。

 

公共事業もかつてはすべての予算の中で最も費やされていましたが、小泉内閣以降どんどん削られて、無駄な公共事業は省くことがいまや主流となっており、インフラは老朽化していくばかりです。

 

防衛費については日本を守るためのものならはまだしも、やはり海外に富が流出してしまうばかりのことをしています。

 

これを解決する方法は、このストックの経済をやめるのです。そうすると財政も金融も一挙に変わっていくことでしょう。

 

そんなことしたらとんでもないことになるんじゃないかと、誰もが思います。しかし、人間はストックされていることによって、生きているのではありません。つねに自然万物は動いているわけです。もちろん全てのストックを否定するわけではありません。例えば、森の地下には多くの貯水機能を持っています。ダムの貯水機能は一挙に放水することによって力を持つのも事実です。ただ、問題は経済です。

 

全ての弊害の要因はお金のストックです。バブル崩壊の損害以降、大企業たちは内部留保を高めまくり、賃金分配率は過去30年変位がありません。

 

これは世界経済全体がストックに依存することとなったからです。ところが、このストック依存システムで安心している富とは実態は何もない、ただの空想にしかすぎないのです。

 

いや、お前の言うことのほうが空想だろうよと言う人のほうが多いでしょう。人間が現行経済を当たり前だと思ってしまった結果、とにかくはみ出した政治思想は意味不明な人間と一緒にしておけというのは、だから仕方ないと思います。

 

だが、結局のところ、年金にしても財政にしても、どうなるかわからないけど、とりあえずこれでいっとけとやっているのが日本政府です。政府は貨幣制度に斬り込むようなことに踏み出す勇気は誰も持ち合わせていません。それはかなり大きなリスクを負う冒険だからだというのが彼らの理由です。

 

しかし、私は彼らが、現状の常識のままなんとか改革していこうということが、とんでもないリスクを負った冒険だと思います。いつか必ずみなが気づいて変わる日が来るでしょう。

 

だが、結局のところ、年金にしても財政にしても、どうなるかわからないけど、とりあえずこれでいっとけとやっているのが日本政府です。政府は貨幣制度に斬り込むようなことに踏み出す勇気は誰も持ち合わせていません。それはかなり大きなリスクを負う冒険だからだというのが彼らの理由です。

 

しかし、私は彼らが、現状の常識のままなんとか改革していこうということが、とんでもないリスクを負った冒険だと思います。いつか必ずみなが気づいて変わる日が来るでしょう。