【権威編】渋谷直蔵 像 | 国政報告 おおさか佳巨 福島県[県中]の生活

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世の中に必要なものは必要になります。
例え、今は笑われてもです。
限界が来るものについては、捨てなければ生きていけないからです。

石川郡出身で三木派の権威がいた。

 

 

 

 

 

 

 

旧制石川中学校、旧制第二高等学校文科乙類、1940年東京帝国大学法学部法律学科卒業後、内務省入省。東京府属。戦後、労働省に移り、大臣官房長、労働基準局長に。1960年(昭和35年)の衆議院議員総選挙に旧福島2区より出馬し、初当選。以降連続当選9回。

 

自由民主党では三木→河本派に所属し、建設政務次官、衆院文教委員長、農林水産委員長を経て、1978年大平内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長兼北海道開発庁長官で初入閣。1985年10月病気で引退を表明したが、1985年(昭和60年)12月16日に脳腫瘍のため69歳で死去した。選挙区は穂積良行に引き継がれた。

 

1975年(昭和50年)秋に公労協がスト権ストの実施を図った際、スト権付与派であった。

 

Wikipediaより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なるほど、荒井広幸師が自民党時代にコスタリカ相手だった穂積良行元代議士は、このお方の後継者だったようだ。そして玄葉光一郎衆議院議員に小選挙区で敗れて穂積氏は引退した模様。