SDGsなるものと国際園芸博覧会 | 国政報告 おおさか佳巨 福島県[県中]の生活

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世の中に必要なものは必要になります。
例え、今は笑われてもです。
限界が来るものについては、捨てなければ生きていけないからです。

東京五輪、大阪万博に引き続き、次は横浜で国際園芸博覧会を開催するとのこと。2027年に70か国程度の参加を目標にしている。

 

これに伴い、二千二十七年国際園芸博覧会政府委員の設置に関する臨時措置法案(213国会閣7)法律案要綱 が提出され、3月15日に衆議院外務委員会に置いて在外公館改正法案採決のあと、この法案は上川陽子外務大臣より、博覧会政府委員の設置及びその任務、給与等について定めるものとして趣旨説明がなされた。

その翌週22日に同委員会で質疑と採決がなされて全会一致によって可決すべきものとされた。

 

その具体的内容は、

(1)令和9年に開催される2027年国際園芸博覧会に関し、国際博覧会条約第 12 条の規定に基づく政府委員として、外務省に「2027年国際園芸博覧会政府委員」を置く。

(2)委員は、特別職の国家公務員とし、かつ、外務公務員とする。

(3)委員は、2027年国際園芸博覧会に関し、日本国政府を代表することを任務とする。

(4)関係府省の長は、委員の任務の円滑な遂行を図るため、必要な措置をとる。

(5)委員の任免は、外務大臣の申出により内閣が行う。

(6)委員の俸給月額を規定する。

(7)この法律は、令和6年4月1日から施行し、2027年国際園芸博覧会の終了の日から起算して1年を経過した日に効力を失う。

 

以上が法案の骨子で、これもまた予算関連法案である。

質疑の中で現・福島4区選出の小熊慎司委員(立憲)は、この博覧会をとりあえず「花博」と呼び、入場者数が予定通りに本当に見込まれるのかについて質問していた。その後、共産党の穀田恵二委員(次の衆院解散で引退予定)は、花博は開催後に花き栽培が促進されればよいが、これまでの実績からすると花博開催翌年後の花き栽培はむしろ収入が減収となり、衰退していると指摘していた。金にもならんものはやるなと言いたいようでもある。

 

ただ、公費負担が増えていくことが今回の大阪万博建設の進行中に、大きく問題となった。そこには予測できなかった円安の影響などもあるが、もうこれ以上、政府は余計な国際博覧会などやってくれるなという国民の声は多い。まして、石川県の復興を急がねばならない問題もある。

 

大阪万博を推進してきた維新の会と統一会派を組む「教育無償化を実現する会」の鈴木敦委員はこの博覧会について外交上の目的をもって成果を上げねばならないとして、いったい何があるのかと質問した。上川外相は国際的な園芸文化の普及、自然環境を活用するなどいくつか述べたが、その中でSDGsの普及促進を挙げていた。

 

最近やたらと耳にするSDGsだが、これは本当に必要なものなのだろうか。いや、反対するわけではないが、このようなものを設定していることに違和感がある。

 

「SDGs」に関心を寄せているのは日本企業だけ? 欧米企業と ...

これを読んだら「だよねえ」と思った。先進国では「SDGs」は関心が低く、「ESG」や「D&I」に関心が高いと言う。

私は、この記事よりも一年前の2021年1学期に放送大学福島学習センターでの面接授業で「国際理解教育-アジアと日本」という科目を受講した。その際に講師の方がSDGsについてどう考えるか、受講者が一人ひとり発言するということになった。私は三番目か四番目の発言者であったが、それまでの発言者はいずれもSDGsに対して賛成せねばならない義務のような感じで肯定的な意見を述べていた。

 

そして私の番が来たので、以下のような内容で発言した。

 

このSDGsなるものは、近代西洋が自然環境を破壊してきた結果、その後始末のようにして各国に提言しているが、そもそも近代西洋の思考が原因であって、今更なにを言っているのだということである。日本は旧来より自然を征服するのではなく、神として恐れ、調和してきた国である。発展途上国においても自給自足を原則として生きてきたのに植民地政策ということを欧米列強がやりだしたために受けている被害なのであって、自然と調和して生きてきた国々を破壊したのは欧米の価値観なのではないかということである。

 

まず、SDGsの17あるうち、1から5まで考えてみよう。17まで全部書き出さなくてもだいたい同じようなノリであるから。

【1.貧困をなくそう】【2.飢餓をなくそう】

貧困が生じたのは西洋が貨幣というものを植民地に流し込み、それによって自給自足で成り立っていた経済社会を貨幣優位の制度にしたために、貧富の差が生まれた。その労働力・労働量増加のため、人口を増やさねばならず、貧困を自ら生み出した。経済学においてそのようなことを急速に行えば飢餓が増えるのは当たり前である。

【3.すべての人に健康と福祉を】

福祉国家が成り立つのは、資本主義社会が成長し安定したときである。それまでは家族・地域のゲマインシャフトで健康と福祉は共助によって成立していた。

【4.質の高い教育をみんなに】

教育というのは、近代西洋で誕生し、成熟した内容の学術である。もともと原住民には原住民の教育価値観があったが、それを世界で画一化し、科学技術は一つの方向性としようとするために、近代西洋の教育システムを押し付けようというものであり、各国・各地域において伝統とされたものを破壊するものでもある。

【5.ジェンダー平等を実現しよう】

確かに、女性が屈辱的な社会環境に置かれている習慣の地域はある。これについては反対しない。ただし、宗教上の理由もあるだろうから、それを一律に介入するのもどうかと考える。そこから抜け出す自由というものは勧められるべきである。

 

ざっとだいたいこんな内容で発言したのだが、私以降の発言者はこれに目覚めたのか、SDGsに対して好意的ではない意見に徐々に変わりつつあった。

 

自然環境を例にとれば、日本は江戸時代までは石油もプラスチックも使っていないので、木材由来・有機天然由来の材料を使用して、捨てるにしても、土や河川にポイポイ捨てていた。それによって江戸湾では栄養豊かな海水になり、魚介類が沿岸部に寄ってきて、漁業も盛んになった。そこに下水道はなく、SDGsの「6.安全な水とトイレを世界中に」など提唱しなくても、排泄されたものは土壌に還元され、都市部で残飯を突いたカラスは夕方になると山に帰り、そこで糞をして山の栄養となっていた。こういう自然に調和したシステムがあったのだが、近代西洋の価値観を明治維新以降、植え付けられて変わっていったのである。

 

したがって偉そうに、欧米主導の国連がいまさら何を言っているのだということである。

 

それでその授業のレポートを提出するときに、ではいったいどのようにすればよいかという論文を書いた。解決方法はもちろん自然主義経済に基づく貨幣システムである。それで成績はⒶをもらい、履修結果としてはめでたしめでたしにはなったのだが、それでは社会的には実現はまだされていないので、これをぜひとも生涯において実行したいところである。

 

話は花博に戻るが、このような意味において、SDGsはまず糞くらえなのであるが、このまま行けば近代西洋価値観における博覧会になるであろうから、日本が従来より持っていた価値観を各国に伝播するような改革こそが「幸せを創る明日の風景」なのではないかと思う。

横浜市というのは中心部が港町で、明治より海外との往来が多く、貿易と貨幣の価値観をいち早く吸収したのかもしれないが、横浜の内陸部は自然と調和した環境で生きてきた。そして、我が国では、自然物を崇拝し、この世のあらゆるものを神に見立てて敬ってきた日本ならではこそのものがある。それを生かすのが日本の国際的役割なのではないかと思う。