表現の自由が自主規制される問題 | 国政報告 おおさか佳巨 福島県[県中]の生活

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世の中に必要なものは必要になります。
例え、今は笑われてもです。
限界が来るものについては、捨てなければ生きていけないからです。

先日の衆議院財務金融委員会で、立憲民主党の原口一博議員が、麻生太郎自民党副総裁が副総理・財務大臣だった頃の発言を取り上げていた。麻生氏の発言は失言ととられるものが数多くあるが、原口氏はそれについて、正直だからこそ失言になると言っていた。まさにそうだろうと思う。ドラマ『不適切にも程がある』が高視聴率を取るのもそうしたところにあるのではないか。

 

「婚姻平等法」という法案

というところで論じたが、私は自分が同性愛者ではないが、同性愛者が苦しんでいる社会状況をなんとかしたいという考えはある。しかし感性的にはさほど受け付けないという心理がある。つまりは、その心の奥底には理性的には理解していないところがあると思う。

 

福島県でのローカルテレビ局で、まさしく同性愛っぽいアナウンサーが毎日出てくるのだが、すぐにチャンネルを変えるまでには至らないが、その態度にはどうにも不自然さを感じる。これはしかし致し方ないことなのではなかろうか。彼らが苦しんでいるレベルではないかもしれないが、多少の拒否感がある人もいるのではないかと思う。現代においては、とんねるずの石橋貴明氏の演じたコントに登場するキャラクターの「保毛田保毛男」を笑うのはもってのほかということで、表現の自由には自主的な規制線が張られている。

 

こうした社会が続くと、人々は表現を自主的に規制しフラストレーションはたまっていき、地下化して、その地下で過激化された表現ないし行動が発生するのではないかと危惧する。

 

これは同性愛に関することだけではない。人種差別においても、藤子不二雄や赤塚不二夫など、かつての漫画家が描いたものについても過剰に表現を今では規制して、なんでもかんでもダメと言う時代だ。窮屈な世の中は、不満をためていつか爆発するというのが歴史上では何度か繰り返されている。そのことについても我々は警戒すべきなのではないかと思うのである。