松下幸之助『道をひらく』を読む(27)手さぐりの人生(その2) | 池内昭夫の読書録

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 目の見えないめくらさんは手さぐりで歩む。一歩一歩が慎重である。謙虚である。そして一足歩むために全神経を集中する。これほど真剣な歩み方は、目の見える人にはちょっとあるまい。(『道をひらく』(PHP研究所)、p. 16)

 目が見える人であっても、「暗闇」の中では、手探り手探りゆっくりと慎重に歩を進めていくしかない。これは「保守」の考え方に通ずるものである。

 自分の目に見えているようで、見えていないことがどれほど多いことか。だから、「一寸先は闇」とよく言われるのだ。突然、目に見えぬ災難が降りかかってくることも少なくない。だから、物事は慎重に進めなくてはならない。保守思想の先駆けとされる英国の政治家エドマンド・バークが面白い譬えをしている。

《ゆっくりではあっても、十分長く進み続けることによって、一歩一歩の結果が観察されます。一歩目の良し悪しが次の歩に光を射します。そうして光から光へと、私達は、一連のことすべてを通して安全に導かれていきます。

私達は、手順の部分部分が衝突しないことが分かります。最も有望な仕組みに潜む弊害は、発生すると共に対処されます。1つの利点が別の利点の犠牲になることは僅かです。

私達は、補い、調和させ、均衡をとります。人の精神や事柄に見られる様々な異常や対立する原理を、一貫した全体として纏め上げることが出来るようになります。ここから、単純さにおける卓越性ではなく、はるかに優れたもの、構成における卓越性が生まれるのです》―『フランス革命の省察』

 慎重に1歩踏み出し、安全が確認されることで、次の1歩を踏み出すべき所に光が射す。そして慎重にもう1歩踏み出す。この繰り返しこそが保守精神の神髄なのだと私は思う。

 人生で思わぬケガをしたくなければ、そして世の中でつまずきたくなければ、このめくらさんの歩み方を見習うがいい。「一寸先は闇の世の中」といいながら、おたがいにずいぶん乱暴な歩み方をしているのではなかろうか。

 いくつになってもわからないのが人生というものである。世の中というものである。それなら手さぐりで歩むほか道はあるまい。

わからない人生を、わかったようなつもりで歩むことほど危険なことはない。わからない世の中を、みんなに教えられ、みんなに手を引かれつつ、一歩一歩踏みしめて行くことである。謙虚に、そして真剣に。おたがいに人生を手さぐりのつもりで歩んでゆきたいものである。(『道をひらく』(PHP研究所)、p. 17)