松下幸之助『道をひらく』を読む(28)自然とともに(その1) | 池内昭夫の読書録

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春になれば花が咲き、秋になれば葉は枯れる。草も木も野菜も果物も、芽を出すときには芽を出し、実のなるときには実をむすぶ。枯れるべきときには枯れてゆく。自然に従った素直な態度である。

 そこには何の私心もなく、何の野心もない。無心である。虚心である。だから自然は美しく、秩序正しい。

 困ったことに、人間はこうはいかない。素直になれないし、虚心になれない。ともすれば野心が起こり、私心に走る。だから人びとは落着きを失い、自然の理を見失う。そして出処を誤り、進退を誤る。秩序も乱れる。(『道をひらく』(PHP研究所)、pp. 18-19)

 福沢諭吉は、無血開城を実現した勝海舟の功績を認めつつも、その出処進退に苦言を呈すべく、『痩我慢の説』を書いた。

《氏の盡力(じんりょく)を以(もっ)て穩(おだやか)に舊(きゅう)政府を解(と)き、由(よっ)て以て殺人散財の禍(わざわい)を免(まぬ)かれたるその功は奇にして大なりといえども、一方より觀察を下すときは、敵味方相對(あいたい)して未だ兵を交えず、早く自から勝算なきを悟りて謹愼(きんしん)するがごとき、表面には官軍に向て云々(うんぬん)の口實ありといえども、その內實は德川政府がその幕下(ばっか)たる2、3の强藩に敵するの勇氣なく、勝敗をも試みずして降參したるものなれば、三河武士の精神に背(そむ)くのみならず、我日本國民に固有する瘠我慢(やせがまん)の大主義を破り、以て立國の根本たる士氣を弛(ゆる)めたるの罪は遁(のが)るべからず。一時の兵禍(へいか)を免かれしめたると、萬世(ばんせい)の士氣を傷つけたると、その功罪相償(あいつぐな)うべきや》(「痩我慢の説」:『福澤諭吉全集第6巻』(岩波書店)、pp. 565f)

(海舟が尽力し、無事平穏に幕府を解散できたからこそ、人が死んだり財産が失われたりせずに済んだ。その功績は稀有(けう)にして大であった。しかし、まだ戦いもせず敵と対峙している最中(さなか)、早々に勝つ見込みがないと感付き自ら謹慎するようなことは、表面的には官軍に対してはあれこれ口実があったとしても、内実は徳川幕府配下の2、3の強い藩に敵対する勇気がなく、勝負せずに降参したということだ。三河武士の精神に背くだけでなく、我が日本国民固有の瘠我慢主義を破ったわけで、立国の根本たる士気を緩めた罪は免れない。一時の戦禍を免れたことと、何世代にも亙(わた)る士気を傷付けたことと、その功罪相償えるものなのだろうか)


【続】