『西郷南洲遺訓』を読む(35)青臭い道徳論 | 池内昭夫の読書録

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9 忠孝仁愛教化の道は政事の大本(たいほん)にして、万世(ばんせい)に亘(わた)り宇宙に弥(わた)り易(か)ふ可からざるの要道(ようどう)也。道は天地自然の物なれば、西洋と雖(いえど)も決して別無し。

(忠孝、仁愛、教化の3つの道徳は政事の基本である。そして、未来永劫世界のどこにおいても欠いてはならない大事な道である。こういう道というものは、天地自然のものであるから、西洋といえども決して違ったものではないのである)― 渡部昇一『「南洲翁遺訓」を読む』(致知出版社)、p. 91

 が、日本の道徳観と西洋の道徳観は必ずしも一致するものではない。文化が異なれば、価値観も異なると構えることが、異文化間交流には必要不可欠なのである。例えば、こちらが礼を尽くせば、相手も礼を尽くすはずだなどと考えることは、まったくもって青臭い話でしかない。

 明治政府が富国強兵を急いだのは、亜細亜を植民地支配する欧米が日本にも食指を伸ばそうとしていたからに他ならない。そこには「進化論」の考え方が関わっていた。

《当時、西洋では、「進化論」が科学として確立していました。「進化論」は元来、『自然淘汰による種の起源』というダーウィンとウォリスの博物学における法則の発見ですが、これがいつの間にか人類に通用されていました。自然淘汰における「進化論」でいちばん上にきたのは白人で、その次が黄色で、その次が赤であり茶であり、その次が黒で、その下にオランウータンがいるというふうに考えたわけです》(渡部昇一『「南洲翁遺訓」を読む』(致知出版社)、p. 92)

 「進化論」は人種差別を正当化した。白人が劣等な有色人種を支配してよいとされていたのである。これは道徳以前の話である。

《確かに当時は、自然科学と近代工業をやれる人類は白人しかいなかったから、「進化論」的にいえば、確かに優れている。だから、「進化論」的に優れている白人の間の宗教、および習慣までいちばん優れていると思っていた。宗教の中では白人の宗教であるキリスト教がいちばん優れ、礼儀作法も習慣でも何でも、みな自分たちの習慣が進んでいるのであって、ほかの民族の習慣は遅れているというふうに「進化論」は発展していきますから、道徳は同じだと言っても、それは通用しないわけです。そして、強い人間の国の道徳は下の人間のことは考えていないということは、イギリスの阿片戦争を見ても、インドの取り方を見ても、ビルマの取り方を見てもはっきりしています》(同、pp. 92f)

 当時の欧米は、他国、他民族との熾烈(しれつ)な生存競争を繰り広げていた。その厳しい現実の前では、道徳などというものは吹けば飛んでしまうに違いない。詰まり、日本とは環境が大きく異なっていたということだ。このことを抜きにして<西洋といえども決して違ったものではない>などという話には断じてならないのである。