『西郷南洲遺訓』を読む(36)歯の浮く言葉の羅列 | 池内昭夫の読書録

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頭山満は言う。

《「忠孝・仁愛・教化」、ここが日本の本体じゃ。世界中で、一番この立派なものを持っているのは日本をおいて外にはないのじゃ》(立雲頭山満先生講評『大西郷遺訓』(『大西郷遺訓』出版社)、p. 37)
 

 「忠孝・仁愛・教化」という言葉はある。そしておそらく「忠孝・仁愛・教化」に努めるべきだという国民性もあるだろう。「忠孝・仁愛・教化」に努めようとしている人間も居よう。こんな国は世界広しといえども、日本以外になさそうだ。が、言うまでもなく、これは「独り善(よ)がり」でしかない。

《日本がこれで立っておれば、世界の人類が何十億あろうと、旭日(きょくじつ)に輝く日の丸の旗の手に、靡(なび)かぬものはない筈(はず)じゃ》(同)

と頭山翁は言うが、こんな独善的な国家に靡くような国が世界にあるとは思えない。まさに、地に足の着かぬ「絵空事」なのだが、この根拠なき自信はなんなのだろう。日本において「忠孝・仁愛・教化」が体現されれば、世界は日本に靡くと信じ、それを口に出来るのは「誇大妄想」のなせる業(わざ)である。

《西洋も日本も、人間に変わりはない筈じゃ。正義人道さえ踏んで行けば、世界万国、日本に帰服するに決まっている》(同、p. 38)

 「進化論」からすれば、白人は黄色人種を同じ人間とは思っていない。正道を踏んでさえいれば、世界が日本に<帰服>するなどということは、未来永劫有り得ないことだと思われる。

《日本の政治は、要するに忠の實現であり、大御心の宜布である。政治のみならず経済も、宗教も、教育も、文化一般も.すべて「忠節を盡(つく)すを本分」とし、「以て天壌無窮の皇道を扶翼」し奉(たてまつ)ることを最高の目的としなければならぬ》(影山正治『大西郷の精神』(大東塾出版部)、p. 96)
 

 何を如何(どう)してこのような「妄想」に付き合わねばならないのか。成程、忠義を尽くすことは美しかろう。が、現実世界は、そのような原理で決して動いてはいない。

《孝も仁愛も教化もこゝから出てくるのでないと本物ではない。

 この道は天地の公道人倫の常経(じょうけい)にして、古今に通じて謬(あやま)らず、中外に施して悸(もと)らざるものである。だからこそ皇道の世界宣布、八紘爲宇(はっこういちう)が可能であるのだ》(同、pp. 96f)※常経:つねに守らなければならない人の道。

 「世界を1つの家にする」という意味の「八紘一宇」は美しき題目である。この言葉を合言葉に先人は亜細亜解放戦争を戦った。この言葉自体が悪いわけではない。悪いのは、この言葉が十分に内実を伴っていなかったことにある。ただ「忠孝・仁愛・教化」の道を実践すれば世界は1つになれるなどと言うのは「安物の宗教」でしかない。