『西郷南洲遺訓』を読む(34)和魂によって洋才を取入れるという空想 | 池内昭夫の読書録

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福田恆存は続ける。

《西洋文明を受け入れることは、同時に西洋文化を受け入れることを意味します。和魂をもって洋才を取入れるなどといふ、そんな巾著切(きんちゃくきり)のやうな器用なまねが出來ようはずはない。和魂をもって洋魂をとらへようとして、初めて日本の近代化は軌道に乘りうると言へるのです》(福田恆存「傳統(でんとう)にたいする心構」:『福田恆存全集 第5卷』(文藝春秋)、p. 192)※巾著切:すり。

 文化を基礎とする文明を文化と切り離して取り込むことは出来ない。例えば、西洋文明をキリスト教と切り離して受け入れようとするのは無理筋だということである。西洋文明を受け入れたいのであれば、同時にキリスト教も受け入れる必要がある。キリスト教で日本文化を上書きしなければならないわけではない。受け入れたキリスト教と日本文化との異同を理解し、必要があれば、日本文化を変えなければならない。そうやって初めて西洋文化は日本において機能するようになる。

《もちろん、和魂洋才といふ言葉にこだはるのは愚で、本人が意識するとしないとにかかはらず、生涯をかけてさういふ苦しい努力をした人が、明治の日本にはかなりゐたことを忘れてはなりますまい。漱石と鴎外とは、一見その向きが反對(はんたい)のやうに見えますが、その點(てん)では代表的人物と言へませう。 

 が、當時(とうじ)の一般的風潮は、和魂洋才だった。いや、一般は單なる文明開化熱に浮されたのであって、和魂洋才はただ自覺(じかく)者だけのものであり、そして時には反動家のものですらあったのです。が、それも時代とともに影が薄くなって行きました。和魂洋才といふ言葉そのものが古くさい、黴(かび)のはえたものになってしまったのです。といふことは、私たちの文化が西洋のそれとは異質のものであるといふ自覺が全く失はれたといふことです。そして、この自覺の喪失は、日本が曲りなりにも近代化し西洋化して、いちわう明治以來の文明開化の實(じつ)を擧(あ)げえた大正期から昭和初期にかけて起った現象なのです》(同)

 当初あった「違和感」が薄れてしまった。本当は、この「違和感」こそが西洋文明を日本においてうまく機能させるために必要な感覚であったにもかからわず、これが薄れてしまったために、西洋文明が独り歩きするようになってしまった。物理的に抑えが利かなくなったのが戦前であり、精神的に振り回されることになったのが戦後である。

《しかも、その明治から戰前にかけて繼起(けいき)した文明開化史の、いはば復習版とでも言ふべき現象が、戰後十數年(すうねん)の短い期間にくりかへし生じてゐるのです。といふのは、占領中の戰爭直後數年は明治の文明開化期に相當(そうとう)し、政治制度の民主化を目標として過去の日本の否定と歐米禮讃(らいさん)に明け暮れしたわけですが、ここ數年、大正期、昭和初期と似たやうな文明開化完了の意識が支配的になってゐるやうに思はれるからです》(同)

 

【参照】2018.08.02付 楽天ブログ

明治維新150年と西郷どん(1) ~「和魂洋才」の矛盾~