『西郷南洲遺訓』を読む(33)和魂洋才 | 池内昭夫の読書録

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8 広く各国の制度を採り開明に進まんとならば、先(ま)づ我国の本体を居ゑ(すえ)風教を張り、然(しこう)して後(のち)徐(ゆるや)かに彼の長所を斟酌(しんしゃく)するものぞ。否(しか)らずして、猥(みだ)りに彼れに倣ひなば、国体は衰頽(すいたい)、風教は萎靡(いび)して匡救(きょうきゅう)す可(べ)からず。終(つい)に彼の制を受くるに至らんとす。

(広く諸外国の制度を採り入れて、文明開化を目指して進もうとするならば、まずわが国の国体をよくわきまえて、風俗を正しくし、そして徐々に外国の長所を考えて採り入れていくべきものであろうぞ。そうでなくて、みだりに外国の真似をするならば、日本の国体は衰えて、日本の風俗は廃れて、救いがたい状態になって、遂には外国に制せられ、国を危うくするであろう)― 渡部昇一『「南洲翁遺訓」を読む』(致知出版社)、pp. 87f

 影山正治は言う。

《五ケ條の御誓文にある「知識を世界に求め、大(おおい)に皇基(こうき)を振起(しんき)すペし」と同じ意味だ。この點(てん)は前の齊彬(なりあきら)公の敎育方針にも明示されてゐた。

知識を世界に求めるのは手段で.皇基を振起することが目的である。文明開化の潮流は、この手段と目的を錯倒して遂(つい)に日本をして歐米の植民地化してしまった。歐米の奴隸化することが進步主義で「我が國の本體を居ゑること」は保守反動だと誤解されて來た。猥りに彼れに倣つて我が國の本體を忘れたから、「國體は衰頽(すいたい)し、風敎は萎靡して匡救すべからざる」に至つたのだ》(影山正治『大西郷の精神』(大東塾出版部)、pp. 95f)
 

 

 が、國體(こくたい)を失わず、欧米の知識を取り入れ、皇国の基(もとい)を振るい起こすなどといった「うまい話」は果たして有り得るのだろうか。

《明治の文明開化期によく人々の口にした言葉に和魂洋才といふのがありました。日本人の魂を失はずに西洋の技術や學問を取入れようといふ意味です。洋服を著(き)、兩刀(りょうとう)を捨てても武士の魂は失ふまいといふ意味です。一口に言へば、生き方、心の持し方としての文化は日本的で行き、近代化の方法としての技術文明は西洋式で行かうといふことになります。それが望ましいかどうかは別にしても、果してそんなことが出來るかどうか、それが問題です。

 なるほど、物質文明は普遍的、持續的であり、ある時代に、ある國で發明された機械が次の時代、他の國に受け入れられぬといふことはありません。その點は文化とは達ふ。文化の場合は、たとへば私たちがクリスト敎の風俗習慣や未開人の戒律を强制されたら、苦しくて仕方ないでせう。異國の文化に限らない。日本のそれにしても、封建時代の主從關係を强制されれば、私たちはすぐ反撥する。自分たちの生き方が亂(みだ)されることには、私たちは我慢が出來ないのです。しかし、文明がいかに普遍的であらうと、ある型の文明にはそれに適合した文化があるのだといふこともまた否定できません。といふよりは、ある型の文化の上にそれに適合した文明が築かれるのです。たとへ文明が目に見える物質的、客觀的なものであり、文化が精神的、主觀的なものであるとしても、前者には必ず後者の支(ささ)へがあり、物質文明もまた精神的であることを知らねばならないのです》(福田恆存「傳統にたいする心構」:『福田恆存全集 第5卷』(文藝春秋)、pp. 191f)