小説 愛食家な彼女 12
熱い、暑い、アツイ
ぐるぐる回るような視界。
陽炎の向こう、歪んだ空間にとらわれた檻。
空気はすでに水分を許容できず飽和状態。
やはり、自分はインドア派だと自覚してしまう。
高柳が、聞き込みを開始して、大体3時間ほど経っているが、これと言って有力な情報はない。
足はすでに歩くという行為自体を拒否するかのように固まって動かない、たった三時間とはいえ、このヒートアイランド現象真っ盛りの異常な空間で、三時間も歩けば軽い脱水症状になる。
京都府警に入る前も、大学が京都大学出会った以上、京都の気候を知り尽くしているつもりではあるが、なれるということは未だかつて一度もない。
山に囲まれた盆地は水量だけはあり、湿度はあり得ないほど上がり、完全に舗装された道路と、外向きに設置されたクーラーの排気は、この地の空気の熱量を一気に上げ、生体活動に伴い、常に熱を発散する恒温動物である人間がひしめき合うようにしてこの狭い土地に集中している。
地球温暖化?
そんなものは京都ではすでに限界値を越えている。
ああ、くそ。夏祭りの警備にだけは借りだされたくないが、このままこの事件が解決しないようなら、いやいやながらも、自分のような下っ端はそっちに回されるかもしれない。
そろそろ、どこかの喫茶店にでもよってすずもう。
涼まなければ死んでしまう。
ふと幻想が浮かぶ。
彼女の姿だ。
薄野なんと言うのだろう?
あんな所で何をしていたのだろう?
人を殺していたのだろうか?
人を喰っていたのだろうか?
彼女は何者なのだろうか?
彼女は人殺しなのだろうか?
商店街に並べられた風鈴の音が幻想をより深くする。
涼やかな音は、体感温度と矛盾し、その感覚を楽土へともたらす。
夢や幻だったのか、彼女は・・・・・。彼女は―。
――――
はっと起き上った。
英國屋の机に突っ伏し、寝ていた俺が突然のように体を震わし、物音をたてたので、一瞬こちらに客の目が集まる。
俺は、半笑いになりながらも、何が悪いわけでもなく、少し頭を下げて、伊豆を少し口に含んだ。
相当恥ずかしい。
目の前に置かれた、クリームソーダは、党にアイスクリームが溶けて、縁いっぱいにまで、表面張力の限界を試し続けている。
先ほどの俺の動きで少しこぼれたらしい。
ふぅ、と一息つき・・・心を落ち着かせる。
いくらなんでも最近運動不足が過ぎただろうか?
行も簡単に意識が落ちるなんて、初めてのことだ。
気がつけば、汗も引いている。
すこしクーラーがきついと感じるほどだ。
さて、そろそろここを出るか・・・と財布の中身を確認する。
はかない中身だが、ここを出るには十分すぎる。
俺は、千円札を取り出そうとすると、ひらひらと、財布から小さな紙が落ちてきた。
こぼした、クリームソーダのなかに浸りと使ったそれを拾い上げ、広げてみるとそこには電話番号。
まるで記憶にない。見覚えもない。
一瞬ぞくりとする。
財布の中にメッセージが入れられているということは、この財布は誰かに一度盗まれたということか?
ただ・・・・そこには、見覚えのある名字も書いてあった。
薄野・・・・・。
薄野凛。
ススキノリン。
おそらくは・・・・・彼女の名前。
小説 愛食家な彼女 11
あのあと、彼女は、その血の匂いだけを残し、俺の前から去った。
下ろした家の表札には、薄野とかかれている。
薄野なんというのだろう?
ふわふわと。そんな事を―
「おい!高柳刑事!」
どなったのは藤本先輩だ。
丸めた雑誌で俺の頭を容赦なくたたく。と、言うよりその後もスナップを聞かして柔くたたき続けている。
「どうしましたか?鬼刑事」
「どうかしたのはお前の方!お前、なんか魂抜けてない?」
「そうですか?」
いや、自分でも自覚している。
完全に呆けている。
間違いない―言い訳もできない。
確かに、完全に今の自分は馬鹿に他ならない。
今までの人生のなかで女性経験はそれなりにあったと自負できるし、相手を好きになると言うことも大体分かっているつもりだ。
けれど、これはどういうことだろう?
恋愛感情に近い・・・・が、まるで酒に酔っているようだ。
のぼせている・・・・ふ抜けている・・・・・このまま、自分が堕落しそうな陶酔感。
それでも良いような・・・・責任感の麻痺。
まるでだめな人間だ。
自分の人生でこんなことは今までになかった。
今までの恋愛がまるで嘘のよう。
完全にイカレテいる。
まるで自分を制御できない。手放しで、超高速の戦闘機に乗っているような感覚。
それは恐怖に違いないが、そこすらもマヒしている。
「おいおい、本当に大丈夫?こんな牙の抜けたような高柳は見たことがない」
「ひどいですね、俺に牙なんかありませんよ、藤本刑事じゃないんだから。」
鬼刑事には牙どころかつのもあると言う噂だ。これ以上は逆鱗かもしれない。
「あれか?好きな奴でもできたか?」
びくっと体を震わしてしまった。
あまりに的尾を得すぎているというか、図星、そのまんま。
さすが、鬼刑事。
勘においては、職人の域だ。
「なにが、職人だ。お前の様子を見れば誰だってわかる。と、いうか、交通課の山瀬が今日泣いて私にすがりついてきた。
『私の高柳さんが、変なんです!恋する乙女なんです!』
だと。
もてるね、色男。」
「なんかとげとげしいっすよ、先輩」
交通課の柳瀬って、俺と同じ年、というか、今年配属されたっていう、あの子か。
どこかで会った事あったっけ?
「本人いわく、高校がおんなじだったらしいぞ」
「はい!?俺の高校は男子校ですよ?」
誰かと勘違いしてないか?
「馬鹿、柳瀬は男だ」
最悪の結論。
あれ、それって、交通機動隊の方の柳瀬じゃね?
あの白バイのごつい奴。
まジ勘弁してくれ。
おかげで一気に酔いが冷めた。
「高柳」
「はい?」
「おまえの恋の主って山瀬?」
「断じて違う!」
そうか、それは残念。最高に面白い展開なのに。
と、本当に残念そうに言う。藤本刑事。
俺は退散して、さっさと捜査に向かうことにする。
情報操作は足からというが、今回ほどこの鉄則をありがたかったと思うことはあるまい。
ギリギリ限界まで、外に退避してやろう。
小説 愛食家な彼女 10
美しいものを、美しいと言うのに罪はなく
醜いものを、醜いと言うのは罪である。
醜いものを美しいと言うのは革新的であり、
美しいものを醜いと言うのは害悪である。
ならば、彼女のその有様は美しいと言うべきか、醜いと言うべきか
ただ、一つわかることは、
美というものは、いつだって、どうにでも言えるものだと言うこと。
愛すべきは彼女
狂うべきは俺
あの日の僕は、罪人だったに違いない。