第三章 幸福在処 消えるワタシ ―小説
「なん・・・て?」
流さんは、驚き眼を見開いてこちらを見ました。
「おや・・、こんなところでどないしはりました?」
その時、一人のおばあさんが現れました。農作業の作業服を着ていますが、どこか清潔感のある印象。
「あんたら、ここは崩れて危ないから近づかん方が―」
「シナばぁ?」
流さんは、唐突に声をあげました。
「確かに、私は、科といいますが・・・あんさん、知り合いでしたっけ?」
「俺だ!流だ!お前が給仕に来ていたこの屋敷の子供だ。」
そういうと、科さんは、目を細め、流さんに近づきます。
「確かに・・・ようにてはります。
けど、私の知る限り、流坊ちゃんがここにいはりましたら、もう19歳、おちびちゃんでは、ちょっと小さすぎますわ。」
流さんは、ただただ茫然とするしかありませんでした。
日は落ちて、暗い中。私たちはシナさんのお家に寄らしていただいていました。
古い、木造の家には、冬でも心地よい温かみがあり、今は、植えられていない家庭菜園の小さな畑、その横の小さな池には、大きめのカエルがいました。
虫の音が聞こえ、光沢のあるちゃぶ台に、暖かい湯気の立つお茶が三つ。
「弦候堂さんの家がなくなりはったんは、もう十三年前になります。」
あそこの家には、給仕として雇われ取ったんですけど・・・・。
そう続けます。
「私が、あそこの給仕をやめることになったんわ、その数か月前になります。
急に、ご主人の方から、世話になったと、給付と共に辞めるよう言われまして・・・。
なぜかをお聞きしたら『引っ越すことになった』と、それは急な話で不思議に思いましたけど、そうとしかいわはりませんし。
とにかく、それからあの家は空き家やったけど、その後ありましたやろ?大震災。
それで、あの家も崩れましてな・・ずいぶん古い家やったさかい。」
そう言って、おばあさんは、お茶少し飲むと続けます。
「私の知る限り、弦候堂さんとはそれっきりですわ。他に付き合いのないお家やったし、何所にいるかなんて。知る人もおらんのちゃいますやろか?」
その一言で、流さんの家の足取りは途絶えてしまいました。
私は、流さんの方を見ます。流さんはずっと、俯いたまま、膝の上で作った自分の握りこぶしを見ていました。
わたしは、その手を、上から包もうと手を伸ばそうとしましたが、その時、流さんがふと顔をあげました。
「弦候堂流については、何か言ってなかったか?」
流さんは、必死に聞きます。
その眼に映った表情に、科さんも何かを感じ取ったようで・・・。
「流ぼっちゃんは、そりゃ~、奥様に大事に大事にされ取りました・・・・。」
そういうと、ふと科さんの視線が下に落ちます。
「でも、いつのころからでしょうか・・・・突然『いなく』なりはって・・・」
しかし、この時、流さんはいました。
けれど、科さんは、いなくなったと言っています。それが嘘だとは思えません。
「奥様に聞いても、そんな子はいない・・・と、おっしゃりますから」
彼女も、流さんを忘れていたそうです。ついさっきまで。
その呟きは、流さんに、それ以上問いかける勇気を、根こそぎ奪って行きました。
