嘉永4(1851)年8月16日、楠美太素の日記にある
那須資礼(與一)宅にて行われた平曲会の句組です。(『平家音楽史』p.420)
那須家より「麻岡検校が参り候」との知らせを受け、
八時(14時)頃に本所石原町の那須邸に伺ったところ、
麻岡検校の弟子である中山、大木、青山がすでに待機しており、
ほどなく平曲会が始まり、まもなく麻岡検校が到着。
五時半(20~21時)前には帰宅とのこと。
月見 中山
鵜川合戦 弁庵
小督局 初麻岡、末中山
那須 懸合 麻岡・中山
康頼祝詞 懸合 麻岡・弁庵
祝言上日 同音
「小督」は長いので、前半を麻岡検校が、後半を中山真齊が語ったのでしょう。
懸合とは連れ語りのことです。
「那須与一」は導師が麻岡、脇が中山真齊、
「康頼祝詞」は導師が麻岡、脇が大木弁庵だったのではないでしょうか。
最後には皆で上日を語っています。
那須資礼が語ったとの記録はありません。
場所を提供しただけだったのでしょうか。
また長時間をかけていますので、一句とおして語ったと思われます。
楠美太素は、それまで国許で平曲(「平家吟譜」)を習っていましたが、
江戸の平曲(「平家正節」)は語り方が少々違うため、
この日に聞いた江戸の平曲について、(おそらく嫡子晩翠あてに)書簡で伝えています。
すなわち、
「御国平(「平家吟譜」)は文廻し(コンパス)は無くて丸を書き候様」に
丸くはあるけれど歪みがあり、「ねだれがましく、うるさく候」と評価し、
「江戸平(「平家正節」)は文まわしで丸を書き候ごとく」
しっかりとした丸で、風情があるのだと褒めています。
また、祝詞(読物)の語り方にも興味を示しています。