毎年定期的に伺っているお寺にて、今年は「法華頓写」の疑似体験をして参りました。
法華頓写とは徳川幕府が行った将軍の法要で、
検校(けんぎょう、盲人の最高位)が語る平家琵琶をBGMとして、
数百人の僧侶が一斉に写経をするという儀式です。
幕府の法要ということですから、それに準ずる藩も多かったはずで、
参勤交代で江戸に上ったり、何かの折に京都に上った折に、
優秀な検校を藩に召抱え、来るべき日に備えたものと思われます。
弘前藩には位の高い盲人がなく、また検校を召抱えることもできなかったため、
藩士であった私の先祖が参勤交代の折に平家琵琶を習得し、
国許に帰ったときに盲人にそれを伝授して法華頓写に備えました。
藩主や藩士の教養ということのみならず、幕府に対する政治目的においても、
晴眼者による平曲の修得が行われていたのです。
このあたり、学者先生方に、さらなる理解をお願いしたいところです。
法華頓写の儀式と言うのは定まっています。
経・経木(これに写経する)・硯・筆・墨が並べられた経机に衆僧が着席、
役員が「伽陀」「引水」の行事をすすめるうちに検校が席に着き、
写経と平曲が一斉に始まり、写経が終わると鳴物による合図があり、
平家が終わったところで(もしくは終わるまでに)衆僧が退去します。
ここで経木が経塔に納められ、供養のために衆僧がうちそろい、
唄(ばい)、散華、回向などの儀式があり、衆僧や導師が退去して終わります。
そこで今回は、
あらかじめ「写経セット」と「筆ペン」を並べた机に、参加者に着席していただき、
お寺のご住職様と一緒に「般若心経を読経」したあとに
写経と平曲をはじめ、だいたいの方が写経を終えたところで平曲をやめ、
写経したものに願いと日付と名前を書いていただいて回収し、
ご本尊様の前で供養のお経(せっかくなので般若心経)を皆で唱えました。
参加の皆さんが私でも配布資料でもなく、写経に集中しているという気配が絶妙でした。
状況から、小さな声で静かに語りましたが、詞(ことば)がはっきり聞こえました。
写経が終わる頃を見計らって、語る分量を調節する必要があったのですが、
ご住職様のお取り計らいで、屏風を背にして(=ご本尊様に背を向けずに)語りました。
写経は手軽に出来ますが、お寺でなければなかなか供養もしていただけませんので、
参加の皆さんも、般若心経の読経や供養に満足してくださったようです。