目指すべきものとは。なんの為に。 | シン・けん。のブログ

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繊細でか弱い武術修行者の拙い気づきを綴っていきたいと思います。気が向いたらお付き合い願えれば幸いです。

今回は前回の投稿の続きのような内容です。


古来、武術の戦いの多くは、人知れず行われていたと思います。

実際のところ、ほとんどが偶発的に始まるので、事前に、いつ何処で誰と誰が戦うのかは分かりません。またその結果が周知されることもありません。どんな戦いであったかも、当事者以外は知り得ません。


そして、私が稽古をしている、古流武術には、いわゆる試合というものが存在しません。
したがって、一定のルールの下に行われる対人の試合によって、誰かに、勝った、負けた、若しくは数値によって何かが測られることがありません。
習熟度の指標や基準として、級と段位を制定しておられる流派や稽古会は多くあります。
ちなみに、私は現在、二つの稽古会に席をおかさせて頂いておりますが、たまたまどちらの会にも段位級制度はありません。

私は、自分自身について言うと、稽古を続けていくうちに、そこに目指すべき目標といったものの存在(例えば、いつまでに○○になるといったもの)が徐々に希薄になっていくように感じています。

現実の場面で、ほんとうに技が使えるのか、あるいは普段の日常の中で、何をどう活かせるのか、居着かないでさっさと逃げることができるか。
簡単な例で言えば、相手に向き合って話をできているか、周囲が見えているか、
などなど。

考えるとしても、こういったことなんです。


そういう意味で、なぜ稽古をするのかと問えば、それは、自分にとって今必要だと思うから、としか言いようがないかもしれません。


強くなりたい、強くなったことを認めてもらいたい。ではないんですね。自分の場合は。

ただこれは、あくまでも、私個人の、ひとつの感想です。それ以外の考えを否定するものでは、さらさらありません。いろいろあって当然だと思います。

お読み頂きありがとうございました。