古来、武術の戦いの多くは、人知れず行われていたと思います。
実際のところ、ほとんどが偶発的に始まるので、事前に、いつ何処で誰と誰が戦うのかは分かりません。またその結果が周知されることもありません。どんな戦いであったかも、当事者以外は知り得ません。
そして、私が稽古をしている、古流武術には、いわゆる試合というものが存在しません。
したがって、一定のルールの下に行われる対人の試合によって、誰かに、勝った、負けた、若しくは数値によって何かが測られることがありません。
習熟度の指標や基準として、級と段位を制定しておられる流派や稽古会は多くあります。
ちなみに、私は現在、二つの稽古会に席をおかさせて頂いておりますが、たまたまどちらの会にも段位級制度はありません。
私は、自分自身について言うと、稽古を続けていくうちに、そこに目指すべき目標といったものの存在(例えば、いつまでに○○になるといったもの)が徐々に希薄になっていくように感じています。
現実の場面で、ほんとうに技が使えるのか、あるいは普段の日常の中で、何をどう活かせるのか、居着かないでさっさと逃げることができるか。簡単な例で言えば、相手に向き合って話をできているか、周囲が見えているか、
などなど。
考えるとしても、こういったことなんです。
そういう意味で、なぜ稽古をするのかと問えば、それは、自分にとって今必要だと思うから、としか言いようがないかもしれません。
強くなりたい、強くなったことを認めてもらいたい。ではないんですね。自分の場合は。
ただこれは、あくまでも、私個人の、ひとつの感想です。それ以外の考えを否定するものでは、さらさらありません。いろいろあって当然だと思います。
お読み頂きありがとうございました。