無底 sans fond
「本音」
心の奥底に眠る、本当の言葉。
ちなみに辞書の定義では
「まことのねいろ」
いいこと言うじゃん、広辞苑。
しかし、俺はこの言葉を創出した作者に小一時間問いただしたい
まずはバックから攻めていきたいと思う
なぜ「音」なのか
なぜ言葉を「音」として、「音」としてのみ表現したのか
非常に気色悪い感じを覚えるのは、私だけか
一般的にコトバというものは
意味するもの と 意味されたもの の二つから成り立っている
例えば「山」を考えてみよう
「山」と表記しても「mountain」と表記しても、「やま」と口にしても
意味するところは皆同じである
これを「意味するものsignifiant」と呼ぶ
他方、その「山」という文字、或いは口から発せられた音によって、頭の中に浮かんでくる「山」のイメージがあるだろう
あってほしい
あってくれ
あるよね?
それが「意味されたものsignifié」である
イメージや概念といってもよい
(本当はよくない)
要はそのコトバ(記号)が示されるところの内容と解釈してほしい
さて、話を戻そう
こういった観点からコトバを捉えると、やはり先程の違和感が拭いされない
音なの?
口から出てきた言葉に重きを置く主義者なの?
そもそも、出てきちゃっていいの?
出てこないからこそ、音にならないからこそ、ホンネなんじゃないの?
俺今、すげーいいこと言ってるんじゃねぇの?
であるならば、
であるならば「真言」とかの方がまだ的を得ているのではないか
心のインナーマッスルを尊重するなら、いっそ「本根」とかの方が良いのではないか
音にならない言葉たちに失礼である
今すぐここで、俺にやさしいキスをしてほしい
とはいうものの、悪いのはそっちだけではない
「本」
むしろこっちの方が厄介である
本音本心本当本性本来本田
俺がいつも闘ってきた奴等
そもそもお前ら「本」じゃねぇか
読み物じゃねぇか
書き言葉じゃねぇか
こいつらの力が強すぎて、本当でないものまで「本当」っぽくなれてしまう
本当の言葉
本当の意味
本当の人間
?
本当という言葉にだまれされていないか
「本当」というコトバをあてがった瞬間、「本当」化作用が働いてしまうのではないか
本当って良いやつっぽいけど本当に(はいすでに毒されてる)そうなのか
言葉狩りをしたいわけではない
オヤジ狩りも五分刈りも、皆私の欲するところである
言いたいことは
「なぜこの人を愛しているの?」とか「生きている意味って何なの?」とか
つまり愛とか夢とか希望とか命とか
そういう問うことさえも拒絶するような、根拠を挙げた瞬間うさんくさくなるような諸々の問いに対して
「本当」とか「本来」とかっていう、ありもしない危険を孕む概念を用いるべきではない
これである
疑問が疑問を呼び
問いが根源的な箇所へ行きつくことは往々にしてある
今日の服のコーディネートを考えてると思っていたら
気が付けば生命の起源を探究していた
こんなことはよくある、ありふれた話である
そこに漠然と在る、何かもにょもにょした、得も言えぬ「事実」が、本当らしさを帯びて「真実」へと変貌を遂げる
だから私は「事実」と「真実」を異なるものとみなし、両者にやさしいキスをする
「事実」を裸体のあなたと解釈し、「真実」を卑猥なランジェリーをまとったあなたと解釈し
双方にやさしいチッスをぶちかます
疑問を止めないでほしい
「本当」に逃げ込まず、常に考え続けてほしい
超個人的な理由でもいい
万有引力の法則くらい一般的な根拠でもいい
幾千から成る意味のミル・フィーユを、真実や嘘偽りから解放してあげてほしい
底なし沼で永遠を享受しよう
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心の奥底に眠る、本当の言葉。
ちなみに辞書の定義では
「まことのねいろ」
いいこと言うじゃん、広辞苑。
しかし、俺はこの言葉を創出した作者に小一時間問いただしたい
まずはバックから攻めていきたいと思う
なぜ「音」なのか
なぜ言葉を「音」として、「音」としてのみ表現したのか
非常に気色悪い感じを覚えるのは、私だけか
一般的にコトバというものは
意味するもの と 意味されたもの の二つから成り立っている
例えば「山」を考えてみよう
「山」と表記しても「mountain」と表記しても、「やま」と口にしても
意味するところは皆同じである
これを「意味するものsignifiant」と呼ぶ
他方、その「山」という文字、或いは口から発せられた音によって、頭の中に浮かんでくる「山」のイメージがあるだろう
あってほしい
あってくれ
あるよね?
それが「意味されたものsignifié」である
イメージや概念といってもよい
(本当はよくない)
要はそのコトバ(記号)が示されるところの内容と解釈してほしい
さて、話を戻そう
こういった観点からコトバを捉えると、やはり先程の違和感が拭いされない
音なの?
口から出てきた言葉に重きを置く主義者なの?
そもそも、出てきちゃっていいの?
出てこないからこそ、音にならないからこそ、ホンネなんじゃないの?
俺今、すげーいいこと言ってるんじゃねぇの?
であるならば、
であるならば「真言」とかの方がまだ的を得ているのではないか
心のインナーマッスルを尊重するなら、いっそ「本根」とかの方が良いのではないか
音にならない言葉たちに失礼である
今すぐここで、俺にやさしいキスをしてほしい
とはいうものの、悪いのはそっちだけではない
「本」
むしろこっちの方が厄介である
本音本心本当本性本来本田
俺がいつも闘ってきた奴等
そもそもお前ら「本」じゃねぇか
読み物じゃねぇか
書き言葉じゃねぇか
こいつらの力が強すぎて、本当でないものまで「本当」っぽくなれてしまう
本当の言葉
本当の意味
本当の人間
?
本当という言葉にだまれされていないか
「本当」というコトバをあてがった瞬間、「本当」化作用が働いてしまうのではないか
本当って良いやつっぽいけど本当に(はいすでに毒されてる)そうなのか
言葉狩りをしたいわけではない
オヤジ狩りも五分刈りも、皆私の欲するところである
言いたいことは
「なぜこの人を愛しているの?」とか「生きている意味って何なの?」とか
つまり愛とか夢とか希望とか命とか
そういう問うことさえも拒絶するような、根拠を挙げた瞬間うさんくさくなるような諸々の問いに対して
「本当」とか「本来」とかっていう、ありもしない危険を孕む概念を用いるべきではない
これである
疑問が疑問を呼び
問いが根源的な箇所へ行きつくことは往々にしてある
今日の服のコーディネートを考えてると思っていたら
気が付けば生命の起源を探究していた
こんなことはよくある、ありふれた話である
そこに漠然と在る、何かもにょもにょした、得も言えぬ「事実」が、本当らしさを帯びて「真実」へと変貌を遂げる
だから私は「事実」と「真実」を異なるものとみなし、両者にやさしいキスをする
「事実」を裸体のあなたと解釈し、「真実」を卑猥なランジェリーをまとったあなたと解釈し
双方にやさしいチッスをぶちかます
疑問を止めないでほしい
「本当」に逃げ込まず、常に考え続けてほしい
超個人的な理由でもいい
万有引力の法則くらい一般的な根拠でもいい
幾千から成る意味のミル・フィーユを、真実や嘘偽りから解放してあげてほしい
底なし沼で永遠を享受しよう
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