観自在菩薩行深般若波羅時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦
今年も一年のリセットボタンを押して参りました
絶賛セイント中の細谷ですよろしくお願いします
私は毎年、山形の出羽三山というところで山伏修行を行っております
修行
内容は諸君が思い描くそれと、さして変わらないと思います
延々と山道を歩き
歩くというか、何故か小走りで
延々と般若心経を唱え
50回唱えると本当に時間の感覚がなくなります
ケムリに燻され
南蛮燻しのコツは息を「吸いながら吐く」です
ご飯もろくに与えられず
食べるのにも速さが求められます。味わうなんてもってのほか、基本米は噛めません
滝を浴び
滝って痛いです、滝から出てくると肌が赤くなってます
何があっても返事は「うけたもう」
うんこれは別に
ちなみに、コンセプト笑が一度死んで新たに蘇る、ということなので
死装束を着ちゃったりします
こんな感じ
ちなみにこの方は山伏修行を一般化させたど偉いじいさんなのですが、いかにも感が強すぎて逆に胡散臭く見えるのは私だけではないかと
死人だから、歯なんて磨かないし
死人だから、お風呂も入らない
死人だから、と言えば何でも許されると思ってませんか
そういう風に考えてた時期が、私にもありました。
選ばれたのは、綾鷹ではありませんでした。
さて、ここまでつらつらと修行の内容を
俺こんなに辛いことやってんだぜすげーだろアピールを
してきた昨今ではございますが、
本日諸君らに伝えたいことは
行明けのタバコはマジでうまい
これである
嘘である
これではない
今回の修行は3日間と、割と短い期間だったんですが
確かに行明けのタバコはすこぶる馬かった
でも、多分、この馬さは禁煙3日した後の美味しさとさして変わらない気がする
「世の中は味に溢れている」
これはすこぶる感じます
毎日文字通り味気ない生活をしてると
いかに美味しいものが世にはびこっているのか
焦ります
(ちなみに今回の修行で行明けに食べたいものNo.1に輝いたものは、常連のコーラ×マックのポテトを差し置いて モンブラン×コーヒー でした)
でもこれも何か違う
タバコの多幸感は禁煙すれば得られる
山道を歩きたければ登山をすればよろしい
滝だって打たせ湯みたいなのあるし
もちろんどれも重要なファクターではありますが、修行の大切さのクリトリスではない気がします
月並みな表現で申し訳ありませんが、やはり修行は
体験
これが一番じゃないでしょうか
普段理詰めで哲学というものに勤しむ
論理論理アンド論理
そういう哀しい世界で私は生きてきました
言ってしまえば、身を以て体験することから程遠い学問であり
(論理的)矛盾を是としない学問です
でも修行は
足を動かさないといけません
やっぱり何時間待っていても、山は自分から来てくれません
こういう感覚は他では味わえないと、そう思うのです
意味とか理由とか、そういうのは後回しで
とりあえず うけたまわれや
この精神が肝要かと
(もちろん修行に意味とか理由が不要というわけでは断じてありません)
だから哲学と宗教は、似たようなククリトリスで語られることが多いですが
私にとっては先っちょのところで違うと、そう感じる次第です
でも
一番最初に参加した時の
うわぁまじ辛かった、行明けの解放感半端じゃない
というのは、年々減っていってるのもまた事実
慣れてしまった
リセットボタン押しすぎてしまった
生まれ変わりすぎた
もう剥ける皮なんてありません
おちんちんくらいしかありません
お前今また俺のことバカにしたべ
それでもやっぱり行ってしまう理由は
きっと
きっと
理由なんてないんだろうな
お前が好きなことに、理由なんてものは要らないんだぜ
ガバッ
