今朝、私のツイッターのTLに「#私にあわなかった小説10選」というタグが流れてきて、ほほう、私だったら何を選ぶかな、と思いながらこのタグの投稿ツイートを見てみたら、選んだ10作品を公表している投稿より、このタグの是非について語っているものが多かった。
「私に合わない」と言ってるだけなんだから問題ないじゃないか、という人もいれば、そういうネガティヴなことをタグにして投稿するのは著者を傷つけるからよくない、という人もいる。私としては「私にあわなかった小説」=「人気があって評価も高いのになぜか私にあわなかった小説」という意味であり、故に「この小説の良さがわからんとは、何たるバカ者!」というツッコミを待っている、と解釈したので、このタグ自体が悪いとは思わなかった。そもそも、ネット空間で何かを批判するということは、批判した自分自身も別の誰かから批判されることでもあるのだから。
とは言え、こういう不用意な投稿がストレスを抱えた著者に最後のとどめを刺すことになるかもしれませんよ、とか何とか言われると、つい腰がひけてしまうのも確か。ということで、日本語作家に関してはお亡くなりになった方の作品に限定して選んでみることにした。
ということで、まいります。
『死せる魂』(1848年)
タイトルのかっこよさにつられて読み出して、途中からわけがわからなくなったなり、でもこのとっちからかった話を残りのページ数でどう辻褄を合わせるのかと思ったら、まさかの未完。ああ、最初から未完と知ってたら手を出さなかったものを~~~(世界文学の常識ともいう)。
『悪霊』(1873年)
ドストエフスキーの長編小説は『カラマーゾフの兄弟』も『罪と罰』も『白痴』も好きなのに、どうしてドストエフスキーの愛読者の間でもっとも評価の高い(と思われる)『悪霊』だけノレないのだ、私は?!
『武器よさらば』(1929年)
ヘミングウェイとはもともと相性がよくないけど、この小説を読み終えた時は憤りのあまり「文庫本の遠投」で世界記録を出せるんじゃないかとさえ思ったね。映画『世界にひとつのプレイブック』でブラッドリー・クーパーが演じたパット役に激しく同意。
『指輪物語』(1955年)
読んでも読んでもちっともおもしろくなくて、それでもかろうじて共感できたたった一人の登場人物が『旅の仲間』のラストで死んでしまった時の衝撃たるや(苦笑)。ここで挫折したらもう一生読み通せない、と思って歯を食いしばって最後まで読んだけど、私と違ってこの異世界ファンタジーに本気で胸を躍らせる人が世間には大勢いるんだよな……?
『夏への扉』(1956年)
言わずと知れたロバート・A・ハインラインの名作SF。猫好きにはたまらない小説だとも言われているのに、私はまったく受け付けなかった。SF、苦手なんだよな。何なら「私にあわなかったSF」で10作くらい簡単に選べると思う。
『よみがえる鳥の歌』(1993年)
第一次世界大戦の塹壕戦を描いて大絶賛された歴史小説、って絶対私の好みだと思ったのに、私は一体何が気に食わんのだ? ラブロマンスか、ラブロマンスが邪魔なのか?!
『ゴールドフィンチ』(2013年)
10年に1作しか出さないドナ・タートの新作小説が海の向こうで大絶賛されていると知った時は、日本語訳が出るのが楽しみで楽しみで、待ちきれないからいっそ原書で読んじゃおうかとさえ思ったが、うっかり手を出さなくて本当によかった。
『ザリガニの鳴くところ』(2019年)
アメリカのベストセラーリストに長いこと君臨していてめっちゃおもしろそう、日本語訳が出るのが待ちきれないからいっそ原書で読んじゃおうかとさえ思ったが、うっかり手を出さなくて本当によかった。てか、あまりのあわなさに、私はもう昨今のアメリカの人気小説には手を出さないほうがいいんじゃないかとさえ思った。
『人間失格』(1948年)
辛気臭いやらうっとうしいやらで、イライラがとまらず。太宰治の良さ、一生わからないままでいいです。
『金閣寺』(1956年)
何が何やらさっぱりわからん。三島由紀夫の良さ、一生わからないままでいいです――と思ってたけど、友達にそう言ったら、左翼な学校教師が生徒に『金閣寺』を読ませるのは右翼な三島由紀夫を嫌いにさせるための陰謀だ、とまでのたまって、私に『禁色』を押し付けてきた。確かに『禁色』はめっちゃおもしろかったし、別の友人に激推しされた『春の雪』もすごくよかった。
以上!