『絶望死のアメリカ 資本主義がめざすべきもの』 | First Chance to See...

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エコ生活、まずは最初の一歩から。

 プリンストン大学の名誉教授の二人、アン・ケースとアンガス・ディートンによる共著。

 

 

 著者略歴によると、アン・ケースは「現在は、アメリカ国家科学賞大統領諮問委員、国家統計大統領諮問委員」で、アンガス・ディートンは「2015年に、「消費、貧困、福祉に関する分析」で、ノーベル経済学賞を受賞」とのこと。そんなすんごいお二人が、さまざまな統計資料を丹念に読み解くことで、現在のアメリカにおいて、学位を持たない中年の白人たちの間で直接的な自殺のみならずアルコールやドラッグ中毒といった間接的な自殺といってもいい症例、本書で言うところの「絶望死」が増えていることを証明する。

 

 社会的窮状という意味では、今なお白人よりも黒人のほうがひどい状況にある。が、貧困層の黒人の状況が改善へと向かっているのに対し、学位を持たない白人の状況が悪化しているのは注目に値する——とは言うものの、アジア人女性の一人としては「ブラック・ライヴズ・マター運動」のご時世に「中年白人はつらいよ」を謳われてもなあ、という気もしないでもない。ただ、低学力の労働者階級の安定した雇用が失われ、不安定で低賃金な仕事にしかつけなくなることからくる「絶望」は、今の日本社会のありようとあまりによく似ているなので、そういう意味ではまったく他人事ではなかったりする。

 

 にしても。統計資料を分析して推論を導き出すのってこんなにも緻密な作業なのね、と、この手の本を滅多に読まない私はひたすら関心するばかりだったのに、75ページまで進んだところで目がテンになった。

 

「『アンナ・カレーニナ』の中でレフ・トルストイが、家族にとって幸福になる方法はたったひとつだが、不幸になる方法はいくらでもあると言ったのは有名な話だ。」

 

 へ?

 

 いやいやいや、それは違うでしょ。私の手元にある岩波文庫の中村融訳では、「『アンナ・カレーニナ』の冒頭の一文は、「幸福な家庭はどれも似たようなものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」。ひょっとしてこの日本語訳が間違ってるのか、と思って河出文庫の小笠原豊樹訳『ナボコフのロシア文学講義』下巻をひっくり返してみたところ、「幸福な家庭はどれもこれも互いにそっくりであり、不幸な家庭はそれぞれ別々に不幸である」。念には念をいれて『アンナ・カレーニナ』の英訳版を探してみたら、"Happy families are all alike; every unhappy family is unhappy in its own way." ほらやっぱり!

 

 統計資料を読み解く時はこんなにも緻密なのに、文学作品の引用はどうしてこんなにも適当なのか。ロシア文学の愛読者を明後日の方向で絶望させないでよ、もう。