『ワイルド・ローズ』 | First Chance to See...

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エコ生活、まずは最初の一歩から。

 ずっと観たいと思っていた映画『ワイルド・ローズ』(2018年)がついに公開されたので、嬉々として地元のシネコン、川崎チネチッタに行ってきた。

 

 

 私のご贔屓役者の一人、ジェシー・バックリー扮する主人公のローズリンの夢は、プロのカントリー歌手になること。14歳から地元グラスゴーのライブハウスで歌っているので、そういう意味ではプロといえばプロだが、それだけでは食っていけないという意味では趣味の延長線と言えなくもない。だいたい、カウボーイハットにカウボーイブーツ姿でステージに立って観客の熱狂を浴びたとしてもそこは所詮グラスゴー、目指すはやはりカントリーの本場、ナッシュビルだ。

 

 ……が、しかし。この映画は若い女性が自分の夢の実現に向かってひたむきに努力するという話とはちょっと違う。そもそもこの映画は、ローズリンが刑務所から出所するところで始まる。出所したローズリンが向かった先は、母親が待つ自宅かと思いきや自分の男が暮らしている家であり、まずはご無沙汰だったセックスをエンジョイするのが先決だ。それからようやく向かった自宅には、自分の母親と、母親に世話をお願いしていた二人の子供がいる——そう、ローズリンはシングルマザーなのだ。

 

 ローズリンの母親は、この期に及んでまだローズリンがカントリー歌手志望であることを全く快く思っていない。刑務所にいた1年の間は孫の世話を引き受けていたし、孫からもめちゃくちゃ懐かれてはいるけれど、ここから先はローズリンが自分で子供の面倒をみなさい、と、敢えて引導を渡す。

 

 出所したからにはまた地元のライブハウスで歌いたいと思っても、再犯防止のためセンサー付きの足枷をつけられ、夜7時から朝7時まで自宅にいることが義務なので、それもままならない。というか、自分が刑務所にいる間に、別のド下手くそな男が自分の代わりにバンドを率いて歌っているのも気に食わない。ムカついてパブでビールを食らってたら、気がつくと午後6時半を回っていて、自宅まで必死で走って帰る羽目に。何とかギリギリ間に合ったものの、そこには陰気な顔つきの子供たちの姿が……。

 

 映画の序盤、ローズリンのダメっぷりが容赦なく描かれるせいで、ジェシー・バックリー贔屓で観ている私でさえ「ダメじゃん……」を天を仰ぎたくなってくる。でもちょっと待て、この種の「天才的に歌は上手いが、実生活はダメダメ人間」って、これまでにもさんざんいろいろな映画で観たではないか。この映画がこれまでの映画と違うのは、「天才的に歌は上手いが、実生活はダメダメ人間」なのが、男性ではなく女性だという点だけだ。歌手を夢見るダメダメ男が自分の子供を自分で世話できなくても「まあそんなものよね」で通り過ぎるのに、歌手を夢見るダメダメ女が子供との約束を守れないと「夢より先にすることがあるだろう」と言いたくなるのは、ひどい偏見ではないか。

 

 と、気づいた途端、ダメダメなローズリンへの共感が一気に膨らむ。そうこうするうちに話は進み、ローズリンは、掃除人として雇われたお屋敷で、思いがけずプロ歌手としての道筋を示してくれる女性(扮するはソフィー・オコネドー!)と出会う。不貞腐れてやけっぱちになりがちなローズリンを応援し、「ナッシュビルに行きたい!」というやみくもな夢の実現に向けて具体的な策を練ってもくれる。

 

 音楽映画であり、女性映画であり、冴えない故郷と憧れの大都会の間で揺れる地方出身者の話でもある。勿論、ジェシー・バックリーの歌手としての力量を存分に堪能することもできる。

 

 

 映画館で観られて本当に良かった。