「皇帝廟」 | First Chance to See...

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 ヨーゼフ・ロート(1894-1939)は、私がウィーンへの憧れを募らせることになった作家の一人である。第一次世界大戦で瓦解する前の、かつての巨大な多民族国家ハプスブルク帝国が実際のところどんな国だったのか、その帝国の首都としてのウィーンがどういう場所だったのか、彼の小説を読んでいるとよく分かる。そして、ロートの小説の登場人物と一緒に、失われてしまった帝国への哀惜の念でいっぱいになる。

 

 図書館で借りた『ヨーゼフ・ロート小説集』第4巻(鳥影社)に収録された短編小説「皇帝廟」もまた、「失われた帝国」への郷愁に満ちた作品となっている。他民族国家の首都たるウィーンで生まれ育った主人公は、第一次世界大戦を体験した後、ドイツ民族主義者たちが幅を利かすようになった街で自分の居場所のなさを痛感する。そしてラスト、主人公は今は亡き皇帝フランツ・ヨーゼフが眠る「皇帝廟」へと向かう。

 

 小説は主人公が皇帝廟に着いたところで終わっているため、皇帝廟が具体的にどういうところなのかは一切描かれていない。それだけに、この短編小説を読むと、「ウィーン旅行する機会があったら、私も皇帝廟に行かねばっ」と思わずにはいられない。おまけにこの皇帝廟、地図を見るとウィーンの街の中心部にあって、観光客にとってもすごく行きやすい場所にある。

 

 というわけで私も行ってまいりました、皇帝廟ことカプティーナー皇帝納骨堂。

 

 

 こ、こういう場所だったんだ……棺とか遺骸に対する感覚が日本人の私とは違いすぎて、正直かなりびびってしまった。他に観光客がいればまだよかったんだろうけど、開場時間の午前10時ちょうどに入ったせいで、私一人しかいなかったし。

 

 さて、ウィーンから戻って既に数ヶ月が経ち、旅の記憶もそろそろぼやけてきた今頃になって、再び図書館で『ヨーゼフ・ロート小説集』第4巻を借り、「皇帝廟」を読み返してみた。すると、おお、前に読んだ時は全く意識していなかったが、第一次世界大戦前のウィーンの象徴する存在として「喫茶デーメル」が出てくるではないか。

 

「あの時は、ぼくらはまだ戦争についてこれぽちの予感も抱いてはいなかった。五月、あのウィーンの町の五月が、銀に縁どられた小さな「金の皿」のなかに漂い、あの食器類や、ふっくらと盛られた細いチョコレート棒や、食べられる不思議な宝石を思わせるピンク色と緑色のクリーム・カナッペの上に揺れていた。(p. 81)」


 デメルなら私も行った、二回も行った!

 

デメル

 

 うむ、こういう文章に出会うと、第一次世界大戦どころか第二次世界大戦まで体験した後の21世紀の初頭でも、ウィーンのデメルはまだ健在で、私のような観光客でも楽しくお茶できる、ってことのありがたみが倍増するなあ。願わくばこの先もずっと、多くの人がかつてのオーストリア=ハンガリー帝国に思いをはせながらあの店でお茶することができますように。

 

 ……と、ここまではよかったのだが。

 

 もう少し先に進むと、戦場から自宅に戻った主人公に母親がコーヒーを出すシーンが。

 

「コーヒーはうまかった。ぼくは、お手伝いの娘がぼくには別の缶から注いでくれたことに気づいた。そして、この年老いた婦人がこっそり手に入れた上等のマインル=コーヒーをぼくのために取っておいてくれ、自分ではいつもの苦いチコリ=コーヒーの代用品で我慢していたのだとわかった。(p. 142)」

 

 ユリウス・マインルのコーヒー! ウィーンではマインル本店にも立ち寄ったにもかかわらず、ジャムや紅茶ばかり探していてコーヒーは完全にスルーしてしまった。旅行前に「皇帝廟」をちゃんと読み返していたなら、絶対にマインルのコーヒーも買って帰ったのに、そうすればトロタ家の食卓をイメージしながら味わうことができたのに、あああ、私のバカーーー!!!

 

 次にウィーンに行く時は、絶対にマインルのコーヒーを買うことを私は誓う!