The Ring and the Book: Episode 2 | First Chance to See...

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エコ生活、まずは最初の一歩から。

 前編 に続き、ラジオドラマ「The Ring and the Book」の後編。

 まずは先日書いた前編の説明を読み返してみたら、「なるべくロジャー・アラムなギドウ目線で説明」と書いている割には、ちっとも庇えてないことに気が付いた。ギドウにもギドウなりの言い分はあって、弟の斡旋で結婚することにしたら弟が見つけてきたのは13歳になったばかりの子供で、新婚家庭に子供の両親までくっついてきたのはいいけど、この両親、子供に「結婚とは何か」を諭すことも説明することもしない。おまけに、貴族の地位欲しさに娘を嫁がせたくせに、ご近所に「貴族というからどんな暮らしかと思ったら、ひどい貧乏暮らしでとんでもないものを食べさせられている」とか何とか愚痴りまくってフランチェスキーニ家の恥をご近所にばらまく始末。そんなにイヤなら出て行ってくれて結構、というと、両親は子供を置いて出て行き、残された子供は「何てひどい」とギドウに文句を言うが——でもさ、結婚ってそういうものでしょうが。

 それに、前編には結婚初夜のシーンも出てくるけれど、この時、ギドウは相手が何も知らないおぼこ娘だと分かると深く溜息をつくだけで、怯える子供を無理矢理、なんて非道なことはしないのだ。ギドウが手のひらを返して怒り狂うのは、両親がこの子供のことを「実の子供ではない、実は道ばたの娼婦から譲り受けただけだ、だから金は払わない」と言い出した後のことである。つまり、ただのおぼこ娘だと思ってそうっとしておいたのに、実は娼婦の娘だった、すれっからしの少女売春婦がおぼこ娘のフリをしてギドウをコケにしていた、と思ったからこそギドウは逆上して性的虐待に走った訳で、そう考えるとギドウにだって同情の余地がなくもない。

 とは言え、母親が娼婦だったからって娘も娼婦とは限らないし、ギドウがとんでもなく器の小さい男だという事実は変わらないんだけどね。

 ということで、さて後編は、ギドウが妻ポンピリアとその両親ピエトロとヴィオランテを刺した後、検察官や弁護士たちが「実際に何が起こったのか」を関係者に訊くところから始まる。ここでいう関係者とは、逮捕されたギドウと、妻ポンピリアと、ポンピリアを連れて逃げたカポンサッキの3人。

 殺人事件の後なのにどうしてポンピリアに話を聞けるのかというと、ポンピリアを即死じゃなかったから。到底助からないレベルの傷は負ったけど、その後4日はかろうじて生きていたから。ったくギドウったら、何度もめった刺しにしたくせに妻の息の根をきっちり止める甲斐性すらないのな。

 で、実際に何が起こったか。

 下女マルガリータが偽手紙でしつこくつきまとうのにうんざりした若い僧侶カポンサッキは、ギドウのところに行って自分とポンピリアの間には何もないしこの先もない、と宣言しようとする。が、ギドウの屋敷で呼べど叫べどギドウは出てこず、代わりに窓から出てきたポンピリアと直接話をすることで、ポンピリアがカポンサッキに宛てた手紙もカポンサッキがポンピリアに宛てた手紙もニセモノだと分かる。そこで、ポンピリアがこれからローマに行くというカポンサッキに、どうか私をここから連れ出してほしいと頼む。カポンサッキも、ポンピリアのおかれている状況を考えると人としてこのままスルーすることはできないと、彼女の逃走に手を貸すが、それはギドウも計算づくのこと。というか、第三者もいるところで二人の愛の逃避行の現場を押さえ、ぶち殺してやろうという企みなのだ。

 ローマの手前の旅館で、カポンサッキとポンピリアはギドウたちに追いつかれる。が、カポンサッキが旅館の外で出発の準備をしているところだったため、「決定的な不倫の現場」にはならなかった。不倫だ、売女だ、破戒僧だ、ほら証拠の手紙もこんなに沢山、とギドウは訴え出るが、まあ誰が見てもギドウの自作自演だし、カポンサッキとポンピリアの言い分のほうが説得力あるし、でもこのままにしておく訳にもいかないし、ということで、カポンサッキは逢い引きしたくても無理っぽい遠くに異動させ、ポンピリアはローマの修道院に入れる、というところで決着がつく。

 勿論、ギドウは納得できない。金はなく、妻に逃げられ、さらなる恥をかいただけ。憤懣やるかたないギドウに、弟のパウロがポンピリアに関する新情報を持ち込んでくる。ポンピリアは体調不良を理由にほんの数週間で修道院を出てローマの民家(要するにピエトロとヴィオランテの許)に移り、そしてその家でポンピリアは無事に男児を出産した、と。体調不良とは、何のことはない、産気づいたということだったのだ。

 ギドウは怒り狂う。フランチェスキーニ家の跡取りとなるはずの男児を取り上げられたことに。とは言え、その男児が本当は自分の子供ではないのではないかと疑わずにいられないことに。本当の子供でなくてもピエトロとヴィオランテ、そしてポンピリアが死ねば、彼らコンパリーニ家の遺産はすべてこの男児のものになり、ということはフランチェスキーニ家のものになるのではないか、というセコすぎる計算と、売女が産んだ私生児をフランチェスキーニ家の跡取りにしてなるものか、という歪んだプライドが混ざり合った末、ギドウは屋敷の奉公人4人を連れてコンパリーニ家に乗り込み、3人をめった刺しにしたのだった。
 
 さて、逮捕されたギドウの許に、弁護士がやってくる。8歳になる息子を目に入れても痛くないくらいかわいがっている子煩悩な善人ではあるが、弁護士としてはすこぶる頼りない。窮地のギドウが「俺は無罪だ、悪くない」と言っても、逆転できるような凄い手を思い付くどころか、ギドウとの接見中でも話題はすぐに自分のかわいい息子のことになってしまう(笑)。後編32分辺りで、息子トーク全開になっている弁護士に、ギドウが"May I continue?"と言うんだけど、あまりの間合いの良さに思わず笑ってしまった。うん、この間合いがロジャー・アラムの魅力よねえ♡

 後編48分辺りで、ギドウに死刑判決が下される。「死刑」と言われた瞬間に、反射的に"No"と応えるギドウ。「ローマ法王に訴えてやる!」と。ここからの約7分間、ローマ法王に訴えてあっさり却下され、独房に閉じ込められてなお無罪を叫び続ける長いセリフは、ラジオドラマ「The Book and the Ring」最大の聴かせどころと申せましょう。ろくすっぽ聴き取れない私ですら、あまりの巧さにもううっとり。死刑執行人たちが独房に近づいてくる気配に怯えるギドウが発する最後の一行"Pompilia, will you let them murder me?"は、いやもう本当に最高で、内容そのものは「おいおいおいw」なんだけど、むしろその自己都合最優先っぷりこそギドウらしくて素晴らしい。

 ドラマは、アントン・レッサー扮するロバート・ブラウニングが、「私が見つけた黄色い本には、ポンピリアが産んだ子供がどうなったかについては書かれていなかった。なので、真相は分からない」云々という語りで締めくくられる。

 これにて終了。最後まで付き合ってくださった方、おつかれさまでした。