First Chance to See...

First Chance to See...

エコ生活、まずは最初の一歩から。

 昨日、府中市在住の元同僚の案内で、府中にある東京競馬場に行ってきた。JRA傘下の馬事公苑には何度も行ったことがあるけれど、JRAの本陣である競馬場に足を踏み入れるのは生まれて初めてだ。

 

 

 元同僚とは東府中駅で待ち合わせ、東門から入場する。入り口の自販機で200円の入場券を買ったが、事前にネット予約して買えば100円とのこと。ただし、オークスとか日本ダービーといったG1レースのある日は別の料金設定になっており、日本ダービーの日は入場料が1000円、それでも抽選というからすごい。

 

 東門から入るとすぐ近くにある「東門UMACAルーム」で、まずはシマウマ模様のカバーを着せられた馬とご対面。このシマウマ模様にはハエ除けの効果があるとのこと。

 

 

 さらにその隣では、馬とのふれあいコーナーの行列ができていたので、とりあえず並んでみる。列は、大きい馬とミニチュアホースの2種類で、私は大きい馬、元同僚はミニチュアホースの列へ。

 

 

 「大きい馬」の列の先にいたのは、北海道和種の在来馬。ミニチュアホースと比べれば「大きい」が、馬としてそれほど大きくはない。2019年生まれというからまだ若いのに、次から次へとやってくる人におとなしく撫でられている。えらい。

 

 競馬場という割にはサラブレットじゃない馬ばかり見ているが、東門の近くには乗馬センターもあり、元同僚いわく、府中競馬場正門前駅に繋がる正門や府中本町駅に繋がる西門と比べ、東門はどちらかというとマイナーな出入り口なのだそうな。確かに、東門の近くで行われていることは、競馬場というより馬事公苑のイベントに近い。

 

 そんな東門の近くにはJRA競馬博物館もあり、もちろんここにも入る。開催中の特別展は「競馬と野球」で、私の興味からはちょっとズレていたけれど、常設展のほうはおもしろかったし、とりわけ競馬のゲートのスターター体験はめっちゃおもしろかった。私は基本おひとりさま行動に慣れているが、このスターター体験は二人一組でスタートの合図をする人と馬にまたがってスタートを待つ人の両方を体験できるので、元同僚と一緒でよかった。

 

 

 競馬博物館を出て、ようやく本格的な競馬エリアへ。テレビで見たことのある風景が目の前に広がっている。インフォメーションでもらったその日のレーシングプログラムを見ると、午前10時くらいから午後4時くらいまでの間にだいたい30分おきくらいの感覚でレースが行われ、各レースで馬が走る距離に合わせてスタートゲートが動かされるが、ゴールポストは同じ場所にある——って、そんなの競馬場の基本の基本だろうが、こういうことさえ初めての私にはいちいち物珍しい。

 

 さらに興味深かったのは、実際に馬たちが激走するコースの内側には子ども連れのご家族が楽しめるエンタメゾーンが設置されていて、大勢の子どもたちが遊園地感覚で遊び回っていたこと。図面を見た時には、こんなところで子どもたちが歓声やら奇声やらを上げたら走る馬に影響を与えるんじゃないのと思ったが、中央地下通路を通って実際に現場に行ってみると、競馬場が広すぎて子どもが泣こうが喚こうがほとんど聞こえない。同時に、競馬のアナウンス放送もほとんど聞こえてこない。距離感が、図面だけを見て何となく想像するのと全然違う。本同僚と昼ごはんをテイクアウトで買ってグルメエリアで食べていると、今の自分がサラブレットが駆け巡る競馬場のド真ん中にいることさえ忘れてしまいそうだ。

 

 

 ちなみに、裏側からみるターフビジョンにはおがわじゅりさんのイラストが貼られていた。これもまたかわいくてよし。

 

 

 ターフビジョン、近づいて見るとめっちゃデカい。

 

 西地下通路を通って観戦スタンドのほうに行くと、午前中に比べて観戦席の人が増えている。にしても、これまで私はテレビ中継される超有名G1レースしか見たことがなかったから、レースに勝てば勝った馬はウイニングランするものだと思いこんでいたけれど、ほとんどのレースでは勝っても負けても騎手と馬はしずしずと退場していく。実際、レースが終わる頃には次のレースに出る馬たちがパドックを歩いているから、観戦者の多くはそちらに移動する。何というか、事前の想像以上に気忙しい。馬券を買ってない/買う気のない私ですらそうなんだから、実際に馬券を買って勝った負けたをやっている人たちは本当に大忙しだろう。

 

 パドックの写真は撮り損ねたが、パドックそばの売店で勝った「G1焼き」という名の今川焼きの写真は撮った。

 

 

 東京競馬場、単にだだっ広いというだけでなく、少し角を曲がったりしただけで、集う人たちの顔ぶれが変わるのも興味深い。昔ながらの競馬マニア系の人もいれば、安全に子どもを遊ばせたい家族団欒系の人もいれば、私たちのようにさほど賭け事に熱心でない大人たちもいる。それぞれがそれぞれの楽しみを享受しながら、ほどよく共存/棲み分けしている。全体として、さすが資金潤沢なJRA、設備も清掃も行き届いていて気持ちがいい。競馬場のあちこちに設置されたローズガーデンでは、たくさんのバラが今を盛りと咲き誇っていた。

 

 

 入場料200円を払っただけで、この快適さ、このおもしろさ。実際、わざわざ観戦席を予約購入しなくても、競馬場のいろんな場所からサラブレットが全力疾走するさまを見物できる。少しでもその迫力を味わいたいなら、観戦席に座って見るより柵の近くで立ち見するのが一番だ。ゴールポストを過ぎたあたりの立ち位置で見ていた時は、私たち以外の周りの人はでっかい一眼レフカメラを抱えた人たちばかりでちょっと焦ったけど。

 

 東京競馬場の本懐は、今日開催されるG1レースのオークスや、さらに翌週の日本ダービーだとしても、そういうのは本気の競馬好きのためにある。G1レースの大混雑とは無縁のタイミングで東京競馬場を見物し、建物の位置関係や広さを知った上で、今後はより楽しくテレビ中継を見させてもらうことにしよう。

 

追伸/ということで今日のオークスはリアルタイム視聴し、女性騎手初のクラシック制覇の瞬間を目撃することができた。今村聖奈騎手、おめでとうございます!

 私の推し俳優ロジャー・アラムが準主役で出演、というだけで、息せき切って駆けつけねばならん映画だが、監督がニコラス・ハイトナーで脚本がアラン・ベネット、主演はレイフ・ファインズという盤石っぷり、これだけのメンツが揃っていれば何の不安もありませんな。

 

 

 1916年、成人男性が次々と戦場へと送られるためヨークシャーの田舎町の合唱団も人員不足、とうとう指揮者まで自ら志願して入隊してしまったため、代わりの指揮者を探さなきゃならない。そこで白羽の矢が立ったのが、戦争が始まるまでドイツで活動していたヘンリー・ガスリー博士。戦争のせいで帰国を余儀なくされたものの、あくまでドイツ贔屓なガスリー博士を採用することに後ろ向きな意見もあったものの、背に腹は変えられない。

 

 ロジャー・アラムが演じるのは、合唱団に資金提供している市議兼工場長のダックスベリー。単に運営しているというだけでなく、その立場を利用してテノールのソロを歌う気まんまんなのだが、いかんせん歌はあんまり巧くない。そんな役回りを、歌が巧いことで知られたロジャー・アラムにあてるのはキャスティングのちょっとした遊び心と言えるかもしれない。歌える彼がいかに歌えない役をこなすか、ファンとしてはそこが大注目だったわけだが、ガチ音痴の私からみて「まるっきりの音痴というわけではないが、ソロで歌える技量ではない」レベルの下手さを上手に表現していたように思う。

 

 ガスリー博士役のレイフ・ファインズは言うまでもなく抜群に巧いし、後半、実在の超有名作曲家エルガー役で出てくるサイモン・ラッセル・ビールも短いシーンで素晴らしい存在感を見せる。イギリスを代表するベテラン俳優の芝居を見るだけででも映画館に足を運ぶ甲斐はあるが、本作のメインである「コラール」の上演では思いがけないひねりの演出を見せ、「さすが舞台演出の重鎮ニコラス・ハイトナーが監督しただけのことはある!」と唸らされた。

 

 1916年という時代背景は、私の大好きな『ウォー・ホース』と同じなことも手伝って、映画の中で直接的に描かれないことについても大体想像がつく。第一次世界大戦が始まって徴兵等が始まってぼちぼち戦死者の通知が届いたりもするけれど、この先、どれほどひどい惨禍が待ち受けているか、まだ誰もわかってない時代。アラン・ベネットの脚本は戦地に向かうことになった若い男たちの、表に出しづらい不安を随所に織り込んでいて、それはいいとしても、「童貞のまま死にたくない」系のエピソードは受け入れるのがちょっとしんどかったりもした。ま、あれがリアルと言えばリアルなんだろうし、当時の基準に照らし合わせれば、あれでも「無理強いしてないだけマシ」なんだろうな、とも思ったけれど。

 

 その一方で、私には音楽についての知識がまるでない。恐ろしいことに、この映画のタイトルになっている「コラール」と「コーラス」の違いもわかってなかったくらいだ。そのせいで、映画を観る前は「合唱団としてコンクールに出場する話かな?」とか思っていた。

 

 合唱=コンクールって、ある意味すごく日本的な発想でしたな。お恥ずかしい。ま、その分、ロジャー・アラム目当てで久しぶりに買った映画のパンフレットは読みごたえ十分で、とてもタメになったと書き添えておこう。

 

追伸/ガスリー博士、同性愛者である含みを持たせているように思ったけど、私の気のせいかしら?

 猫のミチが野良猫から保護猫になって、今日でちょうど丸2年。随分と飼い猫らしくなってきた。

 

 

 1年前のブログ記事を久しぶりに読み返してみると、毎日ほとんど何の変化もないようで、それでも本当に少しずつ少しずつ、ミチとの距離が縮まってきたんだなあと感慨を新たにする。今じゃ毎晩当たり前のように乗っかって寝ているキャットタワー、1年前はまだ建ててすらいなかったんだね。

 

 

 ヘソ天ポーズも、確かに床の上でヘソ天のまま爆睡することはないけれど、床の上でごろんごろんと転がって、しばしヘソ天のままフリーズすることなら割とある。写真を撮るのは難しいが。

 

 

 昨日は珍しく少しだけリバースしたりして私を慌てさせたけど、今日はまったり落ち着いている。どうか末長くすこやかであれ。

 

 

 長生き、と言えば、ミチが拾われた2年前の推定年齢は4、5歳だったので、今のミチは6、7歳になる。この数え方だと、年数が経つにつれだんだんややこしくなりそうなので、ここは一つ、保護された日を起点に「数え年」制度を導入することにする。ということで、ミチは今日から「数えで7歳」。まずは猫又になれる10歳をめざそうか。