【世界の見え方】

 

人間が生きる上で、
自分自身を見る鏡というのは
「他人」になる。

他人に自分を映さなければ、
自分が見えることはない。

 

 

この写真は、スプーンに自分を映した時に、
自分がどう見えるかという実験。

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そこに映るのは、
どちらも自分のはずなのに、
裏と表では、像が反転する。

 

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頭が上向きになるスプーンの裏面と、
上下左右が反転するスプーンの表面、
どちらが正確に自分を映して居るだろうか。

これはどちらとも言えず、
ここに良いも悪いも無いだろう。

 

 

さて。

同じように、人間には
世界の「善悪」を反転させて見せる人もいれば、
世界の「過去未来」を反転させて見せる人もいる。

 

傷ついて像が霞んで見せる人もいれば
やたらと部分だけ誇張したり
やたらと部分だけ小さく見せたり
やたらと部分的に大きく歪んで見せる人もいる。

 

大抵の人はこれらの組み合わせだ。

 

では誰が、世界を正確に、
あなた自身を正確に映してくれているだろうか?

 

ここにも、
「良い」も「悪い」もないわけだ。

 

 

また、全てにおいて
「正確」に写しそうな「鏡」でさえ、
左右が反転して見えるし


美しく精巧な鏡ほど、
自分の見たくない部分も明瞭に映してくる。

 

これは大抵の人にとって「痛い」経験になる。


だが、
これを「見ないように」している人は多いだろう。

 

本来より分かりやすく自分を映してくれ、
世界を明瞭に教えてくれているにもかかわらず
人は煙たがる。

 

だが結局、
「良い」でも「悪い」でもないだろう。

 

 

そして、こういう様々写る「像」から
僕ら人間は「世界」を見いだし、
その中に「自分」を見つけていくしかない。

 

「自分」とはどういうものかを知るのは
「相手」がどういう状態なのかを
知っておかないと
本当の自分と知っている自分は
どんどん乖離してしまうわけだ。

 

ここで、
「良い」とか「悪い」を持ち込んでいる以上は
この乖離はどこまでも広がることになるだろう。

 

 

ただひとつ、
少し俯瞰して考えてみよう。
物事はシンプルに理解できる。

 

それは、
みんな「同じモノ」を映しているということ。

 

どんなものにどの様に写されていたとしても
写しているそのものは
何も変化しないのだ。

 

つまり、人がどう言おうと、
どう感じていようと、
どう考えていようと、
この世界は一つ、これしかなく、変わらない。

 

ならば、
あなたという人は、
人がどう言おうと、
どう感じていようと、
どう考えていようと
あなたはあなたでは無いだろうか。

 

 

現代においては、
「ポジティブ思考」がまだ横行し、
「ネガティブ思考」は排除される傾向にある。

 

ポジティブ思考をスプーンに例えると、
頭が上に来るウラ面と言える。

見たい、見せたい部分だけを誇張して、
見たくない、見せたくない部分を隠す。
そんな映り方をするからだ。

 

 

ではもし、元々平らな鏡のような人や
元々スプーンの表面を見せるような人が
「ポジティブ」に世界を見ようとすると
どうなるだろう。

 

それは、スプーンを「叩きなおし」
しなければならない。


ハンマーでガンガン叩いて整形したら
たくさんの傷が付いてしまうだろう。

 

そして、
そこに映るのは傷だらけの世界になってしまうのだ。

 

 

少し思い起こしてほしい。

自分の身の回りには
この傷がひどくついて、
像が霞み何一つまともに映せなくなっている人も
少なくはないだろう。

そして自分自身にも、
少なからずこんな傷が付いていることを。

 

 

さて。
大切なことは何なのか、
この例から見えてくるはずだ。

考えてみてほしい。

 

たとえば、

自分は相手の何を優しさといい、
相手の何を良さと思い、
相手の何をいたわり、
相手の何を嫌い、
相手の何を大切にしているのか。

 

それが、本質的にあっているかどうかは、
上の例からわかるはずだ。

 

また、自分の知っている世界というのは
極々一部でしかない。

 

見たくないものに蓋をしていれば
その数万倍もある美しさや豊かさに
気がつくことはないのだ。

 

 

何が大切なのか。
今一度考えてみてほしい。