【人材を雇用するか、招致するか】

 

中国の戦国時代の
郭隗という人の言葉で
このようなものがある。

「隗より始めよ」

 

 

この意味は、
自分より100倍優秀な人材が欲しければ、
礼を尽くして相手に仕え、教えを受ければ良い。

 

自分より10倍優秀な人材が欲しければ、
相手に敬意を表し、意見にじっと耳を傾ければ良い。

 

自分と似たりよったりの人間が欲しければ、
相手と対等に振る舞っていれば良い。

 

小役人が欲しければ、
杖を握って横目で指示していれば良い。

 

下働きの者が欲しければ、
頭ごなしに叱りつけていれば良い。

 

欲しい人材があるならば
その行動を
この私から初めてみるといい、
というような意味なのだそうだ。

 

 

さて。
この言葉を現実的に見ると
面白いものが見えてくる。

 

誰に対しても礼を尽くして居る者の元では、
ここで言う小役人やら下働きの人間でも
襟を正すようになるのだ。

 

また、
誰に対してもアタマを下げられない者の元には、
どれだけ優秀な人材も
小役人や下働きの者のように振舞うようになり
能力を発揮することが無くなる。

 

優秀な人材は
どの時代も必ずいる。
だが、それを探す側の在り方一つで
パフォーマンスは大きく変貌するのだ。

 

 

さて。

「雇用」をするという感覚で
人を雇い入れているうちは、
どれだけ小手先で
優しく振る舞おうと、手厚くケアをしようと、

本質的には
杖を握って横目で指示したり
頭ごなしに叱りつけて居るのと
同じなのではなかろうか。

 

そう考えると、
「優秀な人材が居ない」と
皆がクチを揃えて言うのも頷ける。

 

どんなに優秀な人材がやってきたとしても、
その能力を発揮することが無いので
「優秀な人材は居ない」ように見えてしまうのは
当然の結果と言えるわけだ。

 

 

翻って、
この100倍優秀な人材を確保するときの感覚は
現代でいくと「招致」に近いと言えるだろう。

 

優秀な人材というのは、
人事担当者、会社役員、社長の誰よりも
秀でる「能力」があるから優秀なのだ。

 

その「先生」を会社に招き、
その能力を遺憾なく発揮してもらう
フィールドを提供するのだ。

そう考えておけば、
姿勢は自ずと変わる。

 

 

また、

その能力というのは、
凡人がすぐに見抜けるものではない。


人間国宝もぱっと見はただのおじいちゃんだ。

 

つまるところ、誰が優秀な人材かなど
すぐにわかるものではないだろう。

 

となれば、関わる全員に対して
基本同じ姿勢を保つことが必要になる。

 

すでにいる社員も、
新卒の人間にも、中途の人間にも、
パート、バイトの人間に対しても、
顧客や下請け、協力会社、取引先に至るまで
どこに優秀な人材がいるかわからない。

 

そのために、
誰に対しても同じように、
「礼を尽くして教えを受ける」というスタンスを
人事担当者、会社役員、社長をはじめ
外から見える全ての人が
どれだけ徹底出来ているかで

優秀な人材をどれだけ招致出来るかが
決まってくるわけだ。

 

 

歴史を見ると、
どの国でも、
平和で人が「困っていない」時代は
優秀な人材がいない、と言われてきている。

 

だが、乱世になれば途端に
優秀な人材は頭角を表す。

 

つまり、なんだかんだ言っても今は
平和で安定しているということであり、
優秀な人材がいないと思うのは、
自分の在り方が
そうさせているのだということなのだ。