【言葉、の語源】

 

日本語の「言葉」の元々は、
「事」の「端」だ。

 

 

人はよく、言葉にとらわれる。

 

ニュースなどで
「政治家の〇〇が××と発言した」
なんていうのがとりだたされ、
「〇〇は悪い人」みたいになる。

 

ただ、
そこで発せられる言葉は、
そこで起きている「事」の「端」でしかない。

 

シマウマの黒い部分を見て、
シマウマは黒いと言っているのと同じだ。

 

パンダの目の部分だけ見て、
熊だと言ってるのと同じだ。

 

それで何かを判断できるほどの情報は
そこからは決してわからない。

 

 

最近聞くことはないが、
「お前のカーチャンでべそ」
という悪口があったのを
覚えているだろうか。

 

今思えば、
大抵誰も相手のカーチャンのヘソなど
見た事がないし、
もし本当にカーチャンがでべそだったところで
本来特段気に病む事は無いはずだ。

 

だが、子どもの頃は
それが無性に悔しかったり
腹が立ったわけだ。

 

よく思い出してみて欲しい。

 

それは、
悪口を言われたという「事」と


その奥にある、
自分の大切で大好きな人を
侮辱し笑い者にしようとする
相手の「在り方」に
憤りを感じたからではなかっただろうか。

 

「でべそ」かどうかすら
実際はどうでもいい事だったはずだ。

 

 

言葉とは、
ただの「事」の「端」でしかない。

 

また、重要なのは、「事」そのものでもない。


その先にある、「在り方」なのだ。

 

だが、現代人は
物事の「良い、悪い」を
大抵「言葉」に付ける。


つまり、「事」も無視して、
その実際の「在り方」も無視して、
ただ端っこを取り上げ、騒ぐわけだ。

 

 

実際これで、
シマウマを見てみると、
これが何を引き起こしているかがわかる。

 

シマウマの「端」しか見なければ
シマウマを黒いという人と
シマウマを白いという人が出てくるだろう。


そしてすぐに対立を始めるわけだ。

そして、
争ったり
議論したり
説得したり根回ししたり、
民主主義なら
多数決で物事を決める事になる。

結果シマウマは、
白か黒にされてしまうだろう。

 

 

ただ、シマウマは
人がどう争おうと、
誰が納得しようとしまいと、
シマシマだ。

 

人間がどれだけ争い血を流したとしても
どれだけ公平にどう決めたとしても
シマウマはシマシマだ。

 

「事」も「在り方」も
その存在自体も変わることはない。

 

 

現代人はこの様に
未知の問題に遭遇したら
ほぼ100パーセント
対策を間違えてしまう仕組みの上に
成り立っているわけだ。

 

重要な決め事ほど、
人の説得や根回しが必要だろう。

 

それは誰しもが
「事」の「端」しか
見ていないからだと言えるわけだ。

 

 

言葉、というのは、文字がない時代の
「ことば」という響きで表される
大和言葉が元だ。

 

もともと「こと」だけで使われていて
同じ響きを持つ
「事」と同じ意味を持っていた。

 

ただ、どうにも人間の口から出るのは、
「こと」ではなくその「は(端)」しかなく、
これにとらわれるとロクなことにならないから
「事」に「端」を付けてくれていたわけだ。

 

後世の我々が迷わないために。

 

 

昔の日本人は賢く、
その響きによって
今の僕らにまで、
それを伝えてくれている。

 

 

混迷を極める現代だけに
この知恵の恩恵は、
そろそろ受け取っても良いのではないだろうか。

 

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