【善悪を超える】
もし、
人に与えることが善い事ならば、
善人しか居ない世の中になった時、
誰がそれを受け取るのだろう。
受け取る人が居ない世の中は、
誰も善い行いが出来ない。
善人は居なくなってしまうではないか。
ならば、それは善い世の中とは言えまい。
実際、このパラドクスは
まさに今、起きている。
日本は2600年の歴史の中で
これほど豊かさがあり、
これほど受け取り手の居ない時代を
経験したことがない。
ちなみに
おそらく人類すべてみても、
この状態を経験したことはないだろう。
それほどに
先人達が目指してきた「善い国」に
すでになっているわりに
それを誰も受け取る事が出来ないように
出来上がってしまっているのだ。
さて。
なぜこんなパラドクスにハマってしまったのか。
答えは単純だ。
「与える」人間が優れているのなら
「与えられる」人間は褒められない。
褒められないのならば、
愛されない。
つまり「与えられる」事が即ち
「悪」となってしまっているからだ。
さて。
では、これは
変えることは出来ないのだろうか。
まずは、絶対に変えることができない
自然の摂理を見てみよう。
生き物は、生き物を食う。
食わないならば、食われる。
生き物は
それそのものであるだけで
食いものを与えられ、
子孫を残し、
他の血肉になるという役割を与えられ、
ただ生を全うするという使命をも
与えられている。
そして、
すべての生き物は
それを受け取っているだろう。
自然界で「与える」とは
「食われる」こと。
即ち「死」だ。
ここに善いも悪いもない。
正義などカケラも存在しない。
ただ、命が循環する様。
これが生き物としての摂理だ。
つまり、
「与える」が「正義」などと
勝手に言っているのは人間だけで、
自然の摂理とはほど遠い。
そして、
今になって自分らで創りだした虚像に
自分らの首を締められているわけだ。
だが、幸いなことに
これは人の手で作ったのだから
人の手で変えられるという事だ。
善悪というのは、
人々が生きる上で必要だった
「ガイドライン」でしかない。
また、
それができた頃とは
まるで世界は変わったのだ。
今日生きている我々は
この善悪を塗り替えるべき時に
生きていると言える。
だから、
これからどんな未来を作るのも、
今のこの瞬間を生きている
我々に委ねられているのだ。
実際、今すぐに
善悪を完全に捨て去るのは
簡単ではないし、
リスクもあるだろう。
また新しいガイドラインはなく、
完全に白紙のままだ。
いきなり切り替えるのは
不可能に近い。
ただ、
簡単に進むことは出来る。
まずは、
「与える」正義を手放してみてほしい。
人は与えなくても、愛されるのだ。
これを実感してみてほしい。
これが出来ると、
目の前、身の回りに、
既に与えられてるものに
必ず気がつくはずだ。
既にギフトは
あなたの手元に届いている。
必要な物事は、
実ははじめからすべて用意されている。
まずはそれを受け取る事が
新しい未来を作る第一歩になるのだ。
