年末、こちらの新刊を読んだ。もう6巻目ですか。
その後、年末から年始にかけてこのシリーズ(と言ってもまだ2冊だけだが)を読んで気になったのが、両者に共通して登場する中国出身の登場人物が使う日本語だ。
中国人の使う日本語のステレオタイプについては、いわゆる「役割語」の代表例として言及されることが多い。
古いところでは張々湖、最近では(そんなに最近でも無いが)神楽の使う「~アル」とか「~ヨロシ」みたいな「中国人」であることを示すための言い回しが有名な訳だが、今では既にそういう言葉を使うこと自体がギャグになっていたり、その登場人物の胡散くささを表すものとして使われている。
で、最初に挙げたマンガと小説ではそれらとは違うが、でも中国人っぽいと思わせるような日本語が使われている。
「ジンサン一人中国いると死ぬマスヨ!」
「一週間後、運転免許もらえるデスヨ」
「ワタシやてるの多いデスネ」
(『中国嫁日記』6)
「嘘には、取り返しのつく嘘とつかない嘘があるね。お前のはつかないほうね。」
(『聖女の毒杯』)
「……お前の後ろにあるものは、何ね?」「ダムです」「ダムには普通、何が溜まっているね?」「水です」
(『聖女の毒杯』)
後者は小説のしかもかなりキャラクターが誇張された人物の台詞で、前者はエッセイマンガで実在の人物の発言に基づいていているという違いがあるわけだが、どちらも以前からの中国風味日本語と離れつつその名残を残している。
後者では別の中国から日本にやってきた登場人物には特徴の無い台詞を使わせていて(これは誰が発話しているのかわかりやすくするという意味もあるのだろうが)、何も意識せずに「~ね」という言い回しを使っているわけではなさそうだ。従来の役割語は使わずに、会話を書く際に他のキャラクターと区別がつきやすいようにということで選ばれた表記なのだろう。
なお、「ね」については、『〈役割語〉小辞典』でも「近年では、戦前から用いられてきた〈アルヨことば〉に代わる〈中国人語〉として、多く見られるようになってきている。」と指摘されていますな。
そして、今後は前者のような実在の人物の発言に基づくエッセイ的なものが主導する形で新たな役割語が生まれるのでしょう。
……「何ね?」「何が溜まっているね?」という言い回しを書き写している時に思い出したのだが、この本を読んでいて「~です?」「~ます?」という疑問型が繰り返しているのがすごく読みにくかった。
書かれている内容自体は既知のことが多かったものの基本的なことがわかりやすく書かれていて良かったのだが、質問者の疑問は「~ですか?」「~ますか?」と表記して欲しかった。
このLっぽい疑問型って今は普通なんでしょうかね。あれは変人風のしゃべり方なんじゃなかったんです?
全部で34本。
内訳は、
日本アニメーション14
海外実写5
日本ドキュメンタリー4
日本実写4
海外特撮3
日本特撮2
海外ドキュメンタリー1
海外アニメーション1
「ガルム・ウォーズ」は日本特撮、「ダゲレオタイプの女」は日本実写に分類。
「ガンダム」だけで三つ見ているのが昨年の特徴かな。
2017年も注目作多いですよね。
新劇場版…… いやいや。
http://www.denkigroove.com/themovie/sp/home.html
http://www.geass.jp/akito/final.html
http://lopatkina-movie.jp
http://chihayafuru-movie.com/index1.html
http://gaga.ne.jp/holmes/
http://gaga.ne.jp/hateful8/
http://anime-eupho.com/
http://bitters.co.jp/sanga/
http://www.gundam-the-origin.net/story/index.html
http://garmwars-movie.com/
http://chihayafuru-movie.com/
http://hamidashi-fujio.com/
http://www.fakemovie.jp/
http://gundam-tb.net/
http://shin-godzilla.jp/
http://www.foxmovies-jp.com/xmen/
http://www.kizumonogatari-movie.com/
http://gaga.ne.jp/hitlerisback/
春日太一の文藝春秋で出している本がようやく電子書籍化。まずはこちらを読みました。
全盛期東映の映画制作の方針、徹底的な「大衆」向けの作劇については、『B級学』でも読んでいたが、それを更に詳細に時代を追って語っていて興味深かった。
ちょうどこれを読んでいる時に、トリュフォーによるヒッチコックのインタビュー本について取り上げたドキュメンタリーを見たので、批評家ではなく観客のことを考えての作劇という共通点が更に面白かった。
いや、任侠・ヤクザ、そして殺人と、犯罪を描いている映画を中心に作っていたという点も共通しているのだけれども、それも観客を喜ばせるためなのでしょう。
一番最近見た映画もある意味映画についての映画だったように思う。これもまた犯罪にはならないものの人を死なせてしまった人間を描いた、「EVERY THING WILL BE FINE」というなんとも皮肉なタイトルの映画なのだが、描き方は何とも刺激的なところはなく非常に抑制的だった(他にもちょっとした軽犯罪も出て来る)。
小説家が主人公ではあるものの、自分が残したこと・ものが他の人に思いがけず影響を及ぼしてしまうことの恐れとその克服が描かれており、それは映画を作る者が抱えた問題でもあるのだろう。
同じ監督の10年前の映画が意識せず残してきてしまった子どもと再会する話で、それが映画界や社会に大きな影響を与えた彼自身の過去の映画との再会を暗示しているように読めたのを思い出した(そのへんのことは、当時ここで書いています)。
最初にふれた本や映画で取り上げられた映画たちも、避けられず影響を残してしまっているのでしょうが、そのへん後者ではヒッチコックについて語る現代活躍する監督達という形で暗示されていた訳ですね。
「La Femme de la plaque argentique」もヒッチコックの影響から見ることができそうだなあ。
前期のテキストについてはこちらで紹介していましたが、それらをふまえて上で制作した電子書籍がこの2冊。
基本中学生向けの『初級編』と、基本高校生向けの『中級編』に分ける形になったのは、内容が多岐にわたっているので、整理しているうちに基礎的な情報とさらに詳しい情報に分けることになったため。
『上級編』はないのかとお思いかもしれませんが、『中級編』を最後まで読めばその謎は解けるでしょう。
どちらにもコメントが付けられるので、ぜひ感想を書いてもらいたいです。
この一週間いろいろなことがあった。
最初に片淵須直監督の名前を知ったのは、〈WEBアニメスタイル〉の旧サイトで連載されていた、「β運動の岸辺で」というコラムだった。今となっては、どの回を最初に読んだのかは覚えていない(遡って古い記事も読むもので記憶が曖昧になるのです)。
その中で語られている「魔女の宅急便」とか「名探偵ホームズ」のスタッフとしては全く意識していなかった訳で、その点実にヌルい話である。
コラムに加えて、新作映画「マイマイ新子と千年の魔法」を〈WEBアニメスタイル〉がおしていたこともあり、実際に劇場に見に行くことになる。
〈WEBアニメスタイル〉は新サイトに移行し、片渕監督も新たに「1300日の記録」というコラムを連載し始める。そこで準備中の次回作として語られ始めたのが「この世界の片隅に」というこうの史代さんのマンガを原作とする映画だった。
この映画の企画は牛歩のようにゆっくり進み、その途中で新宿ロフトプラスワンや大阪のロフトプラスワンウエストでの監督のトークイベントなども開かれたのだが、最終的に実現のために選ばれた方法はクラウド・ファンディングだった。
クラウド・ファンディングの成功から8ヶ月経って、先週の11月12日(土)、ついに映画「この世界の片隅に」は公開された。
それから起こったことは、多くの人がご存じの通りである。
最初に雨宮まみというAVライターの名前を知ったのは、同じくAVライターである「安田理央の恥ずかしいBlog」というはてなダイアリーだった(現在ははてなブログに移行して、タイトルも「ダリブロ」と変更されている)。
あるエントリーにいいコメントを付けている人がいて、はて、このmamiamamiyaという方はどなた? とはてなIDをクリックしたところ、「雨宮まみの「弟よ!」」に行きついたわけだが、やはり最初に読んだ記事がどれだったかは覚えていない(遡って古い記事(同前)。
そのうち、ネット上あちこちでコラムが始まって、楽しんだり考えたりしながら読んでいたところ、「セックスをこじらせて」のネット連載が始まった。
「弟よ!」の方でちらちらふれられていた話ではあったものの、こちらではずいぶんと自分自身のことに踏みこんでいると思っていたら、単行本化されることになったのだった。『女子をこじらせて』というタイトルで。
正直ネット連載のタイトルの方がインパクトがあっていいけど、本として書店に置くのに「セックス」はアレなのかな、と思っていたのだが、その後の流行語としてのヒットとエッセイストとしての活躍ぶりはご存じのとおり。我ながら「売れる」ことへのセンスが無いね。
いずれもネットが無ければ出会えていなかった。いずれもネットがここまでのヒットや活躍のきっかけになったといっていいでしょう。
この魅力的な映画と、この魅力的な書き手に出会ってほしかった、といまさら思う。
「この世界の片隅に」を見た雨宮まみが、どのように、何を語ったのか、どちらも女性について生きる楽しみと生きづらさを主題にしているだけに、読んでみたかったものです。














