12月に配信で見た、見終わったのは下記のドラマと映画でした。
 

https://www.disneyplus.com/browse/entity-3c9aa47d-88c2-455b-a63b-4be76b666a55?sharesource=Android

https://www.netflix.com/us/title/81243969?s=a&trkid=13747225&trg=cp&vlang=en&clip=81732375  
https://spy-family.net/codewhite/
 
今年前半のマーベルのドラマシリーズと、20世紀のジャンプマンガの実写ドラマシリーズ、それに現代のジャンプ系アニメの劇場版。
いずれも血のつながりのない家族的な関係が出てきたのが偶然とはいえおもしろいところ。いや、鞍馬と母親は血の繋がりはあるのか? とはいえ、精神的には親とは思ってないけど、愛着を感じてるという話ですよね。
血の繋がりに助けられるまたは縛られる、という設定と、血の繋がりのない疑似家族という設定がいずれもよく出てくるのは、「家族」という集団が多くの人に共有されやすい前提だからということなんだろう。過剰に意味づけずにそのくらい軽く見た方がいいと思います。
 
さて、以下は時間の関係で見終われなかったり、まだ配信途中だったりするもの。

 

https://www.netflix.com/jp/title/81435684

https://www.netflix.com/jp/title/81310438

 

https://www.disneyplus.com/browse/entity-4a73a750-f18c-450a-b9f7-d9f40974ff9d?sharesource=Android
 
アメリカ制作のアニメーションシリーズ二つは途中までしか見られず、年越しになりました。
しかし、後者の主人公は中国系アメリカ人だけど、子供の頃のトラブルが元で故郷を離れてソウルで暮らしているという設定、K-Popが大好きでカラオケの定番はBLACKPINKというあたり、いまどきな感じだったりアジア市場も意識していたりするのかもしれないけれども、少し不思議な気がした。
 
最後のは作られ続けるスペースオペラ大作のスピンオフドラマシリーズ。これまでのシリーズをあまり知らない若年層を拾っていきたい、と思われます。
「二年間の休暇」のような、「スター・トレック」「銀河鉄道999」「少女星間漂流記

 

 

 

のような(しかも油湯みたいなリゾート星に行ったりもする)、「宝島」のような話に、旧共和国だのフォースだのがからむ、なかなかいいジュブナイルではないでしょうか。
毎週水曜更新なんですが、明日1/1も普通に更新するんでしょうね。
 
今年のまとめみたいなのは、また後日。それでは今日はこのへんで。

すっかり冬になり、今年のアサガオ報告もこれで最後です。

 

11月になってもささやかに花を咲かせていたベランダのアサガオさん。

 

7月までに収穫できた種については既に写真をあげていますが、その後もこのくらいは種ができました。8月・9月の猛暑の時期には全くできなかったのが、10月以降は復活しました。

 

リビングの方も11月まで蕾を付けてましたが、ばらけたり、開ききらなかったり。いや、よくがんばった。

開ききらなかった方はその中で受粉できたようで、種を結んでます。

枯れきってないので、収穫はまだなのですがね。

 

リビングでは既に種が5粒収穫できているので、来年はもう少し屋内で育てる数を増やすかも。

 

では、また来年の春に。

11月に配信で見た映画や配信限定のものは下記のとおり。

https://wwws.warnerbros.co.jp/flash/
https://www.netflix.com/title/81458416
https://www.disneyplus.com/ja-jp/movies/deadpool-wolverine/4TQTHo9Qto2m
https://www.disneyplus.com/ja-jp/series/agatha-all-along/6Nf0RIVHbJnh
https://www.disneyplus.com/ja-jp/series/star-wars-the-bad-batch/4gMliqFxxqXC

2つ目の映画と4つ目のドラマ・シリーズでKathryn Hahnさんをたっぷり見ることになったのでした。今調べたら「Spider-Man: Into the Spider-Verse」である有名キャラクターの声を担当されていたのですね。吹替版でしか見たことなかったので知りませんでしたが、今度声を確認してみよう。


さてさて、あ、これ、見てなかったなあ、という感じで見たものが多いのですが、結果的にアメコミ原作ものと大作スペース・オペラ関連のものメインになりました。あとは、イギリス製のブラック・ユーモアなミステリ映画の第二作。

1つ目と3つ目は別の会社のアメコミ原作なのに、いずれも多元宇宙説に基づいたストーリー。これについては、日本では「シュタゲ」がやりきった感があるので、あらためて影響を受ける作品が出ることはなさそうですが、海外ではどうなんでしょうね。

最後の独立愚連隊のみなさんのアニメシリーズは、さすがに第3シーズンともなると、ああ、いつものあれね、という感じは否めなくなりますね。こちらは閉じて他のスピンオフ作品に繋げていくということでしょうか。
かわりに始まる実写ドラマシリーズもあるし、こちらも主役に子供を持ってきていて、オールド・ファン以外のファンを開拓したいという試みを続けているのでしょう。

それでいうと、この前まで見ていたNetflixの高校生ブラック・ウィッチものと、軌を一にして先月見終わったMARVELのドラマでも高校生?ブラック・ウィッチが誕生する(彼が学校に通い続けるかどうかはわかりませんが)話が作られたのも、新たなファン開拓という狙いがあるのかもしれない。

おじいさんはそんなこと関係なく来年も見続ける所存ですよ。

また一年以上ぶりの不整脈の話。

 

結局、今年に入って大きな病院(前とは違うところ)を紹介してもらって8月のはじめにまたしました、アブレーション。

しました、と言ってもその間自分自身は麻酔で意識が無かったのですが。そういえば、8年前の時は局部麻酔で意識ありました、と担当医に言ったらえらく驚かれた。なんか病院によって流儀が違うんでしょうか。または時代の違い?

 

施術後、少し不整脈が出たりもして、続いたら電気ショックで止めると言われていたのですが、その後は収まって穏やかに過ごしております。

 

いや、ショックしなくてよかった。

 

とはいえ毎日の服薬は欠かせない。今は朝二種、夜一種出してもらってます。

 

こんな感じです。

 

前回は五年間通院したので、今回もそのくらいはかかるのかもしれない。

なにかあったらまた書きます。

 

ない方がいいなあ。

あいかわらず映画館には行っていない。

配信ドラマや配信のみのアニメ、それに劇場映画を配信で見たりしている。

 

https://www.netflix.com/title/81497635
https://www.netflix.com/jp/title/81414665
https://www.netflix.com/jp/title/81231974
https://disneyplus.disney.co.jp/program/acolyte
https://geass.jp/roze/
https://gundam-requiem.net/
https://wwws.warnerbros.co.jp/aquaman/

F先生マンガ原作のアニメシリーズ、エドガー・アラン・ポーの諸作品を換骨奪胎して混じり合わせして現代化したドラマシリーズ、繰り返しドラマ化や映画化されてきたアメリカン・コミック原作のスピンオフドラマシリーズ、アメリカが誇るかのビッグコンテンツのスピンオフ過去話ドラマシリーズ、大人気テレビシリーズの第何弾目かのスピンオフアニメシリーズ、日本が誇るかのビッグコンテンツのスピンオフフル3DCGアニメシリーズ、アメコミ原作映画のシリーズ第二作。

書き忘れたものもあるかもしれないが、ひとまず今年はこんな感じで来ている。

 

ちょっと機械的な事情で見られないものもあるのだが、それらは事情が解決したら年末までに見るつもりです。

 

この中だと、2つ目と3つ目(いずれも今年の新作では無いが)はそんなに不満なく見終えられた感じですね。後者はまだ続きがあるのでどうなるかはわからないが、前者はそう使うのか、そう繋げるのか、と膝をたたくことしばしでした。

 

しかし、米日のビッグコンテンツ二つは、いろいろ作られすぎていて全部面白いというわけにはいかないんでしょうね。

 

さて、この後は金ローで日本の別のビッグコンテンツの新作を見ますかね。

ひさびさ更新ですが、約3か月ぶりの眼圧と視神経の話。

 

 

とはいえ、特に緑内障の進行も無く、眼圧も眼科に通院するようになってから最も低い数字で、次は来年まで行かなくても良くなった。

 

変化としては、例のジェネリック医薬品を使わないと余計に料金がかかるという法律の変更のために、違う目薬を使うようになったということぐらいです。

 

ルミガン! に変えてビマトプロスト! と呪文が変わったのです。

といっても、ビマトプロストは薬剤の名前で、どちらの目薬にも主成分として入っている。

商品名としてはニットーということになるらしい。

 

呪文っぽく無いですなあ。

 

そうそう後発薬品と言えばあの方ですが、まだ映画は見られて無いんですよ。

 

 

昨年の9月、つまり後期分から授業がどのように進行しているかの記録をつけ始めたわけだが、今年の後期で3期目となる。

で、明日9月12日から授業開始ということで、ひとまず教科書や参考文献、初回の予定を記録した。

 

はたして見ている人がいるのかどうかは不明だが、結局自分が見て役立つということが一番多そうだ。

 

デザインは相変わらず鹿ですが、またぎのもみじちゃんとは関係ありません。

 

今年度も「ジャーナリズム論」の授業を担当、最終的に44本のレポートの提出があった。

今回の縛りは、「2010年代の社会・文化」。2020年も「2010年代」にしたのだが、少し時間が経つと見え方が違うかな、と思ったのであらためて課してみた。

 

一番多かったのは地震・豪雨など災害・事故関連でした。

最近も災害・事故は起こり続けているので、関心が強かったのかもしれない。

 

「地震と日本(東日本大震災を踏まえて)」
「東日本大震災の復興と「ジャーナリズムの存在意義」」
「原子力との関係性について」
「東日本大震災の政府政策、復興について」
「東日本大震災後の原発問題」
「東日本大震災とメディア」
「2018年の西日本豪雨の実際の体験と世間の認識のずれについて」
「西日本豪雨の影響とその後の豪雨災害への意識改革~岡山県倉敷市真備町の被災から復興を見ながら~」
「台風と豪雨、私の人生」
「セウォル号沈没事故から考えるジャーナリズムの存在意義」

 

西日本豪雨については、被害が大きかった地域から大学に来た人たちが、大阪での認知度が低いのに驚いて取り上げる、というのがある。これは2020年も同様でした。

あとはネット・SNS・スマートフォン関連も多い。SNSでの中傷とか、未成年の自殺とスマートフォンとの関連とか、やはり今も続いているので気になるのでしょう。

「インターネットの暴走はマスメディアの罪なのか? 娯楽として消費された人間」
「スマホの導入によって社会はどのように変化したのか」
「Twitterから見るSNSがもたらした社会問題」
「自己体験型デジタルデトックスに関する調査・取材の最終成果報告」
「2010 年代、電子書籍の普及と影響」
「音楽サブスクが変化させた世界」
「10年代の子どもたち」

 

それでいえば、性差・ジェンダーをめぐるテーマも2020年より少し増えた。今話題になっている事象の起源としての2010年代ということですか。


「非多様性国家・日本―拭い切れない同性婚への忌避―」
「マスメディアの影響を受けたLGBTの扱い方」
「ハラスメントと私たちの生きる社会」
「「#MeToo」運動により助長された「男性の生きづらさ」とその社会的認知度」
「2010年代日本におけるクィア文学の流れ、また性的マイノリティに関わる社会運動、教育現場の動きとの関連について」
「マイノリティ文学の変遷」

「文学」が出てきた流れで並べると、今年は文化事象を取り上げたものが例年よりは少なかったような。と言っても並べるとけっこうあるね。「文化」と言っても広うございます。

 

「『かがみの孤城』はファンタジー? 交錯する「現実」を読み解く」
「『刀剣乱舞ONLINE』と地方公共団体・博物館等との関わりとその影響」
「2010年代のVOCALOID文化が社会と未来に与えた影響」
「2010 年代の日本のアニメとアニメ業界の働き方の変化」
「2010年代のアイドル」
「SMAP解散騒動とマスメディアの動き」
「かわいそうとはなにか、本当の情報とは」
「AKB48の人気はイコール大人数の支持によるものか~2010年代にブームを巻き起こしたAKB48の人気の正体~」
「K-POP アイドルから世界へ」

 

アニメーション業界の労働問題はずーっと周辺では話題になり続けているわけですが、他にも労働問題を取り上げたものがありました。

 

「労働を中心とした社会問題」
「教員の実態と働き方改革」

働くということでいうと、殺されてしまったジャーナリストについて興味がある人たちがいましたね。

 

「イスラム過激派とジャーナリズム」
「ジハード」

以下、分類しきれないのですが、本当にいろいろなテーマで書いてくれています。

「なぜ政府はマイナンバー制度に固執するのか」
「ヘイトスピーチはなぜなくならないのか」
「グレタ・トゥーンベリが与えた影響」
「現在のオウム信者の光と影」
「意識高くてなにが悪いの?~意識高い系になってしまっているのは私だった~」
「オーバーツーリズムから考える、これからの観光」
「あべのハルカスと天王寺の歩み」
「新元号『令和』が決定するまで」
 

来年度も担当予定ですが、どういう縛りにしますかね。「2020年代前半をふりかえって」では安易すぎるし。

テレビ放送から18年余り経った今年の1月に劇場版が公開されたロボットアニメから話を始めましょう。

公開から一カ月くらい後の監督の次のようなXでの発言に、コノエ艦長がコーディネイターなのが意外というリプライが付いていた。

 

 

 逆にいかにもコーディネーターだという感想も無い訳ではなかったが、おそらく偏りのないバランスのとれた人柄かららしくないという印象を持った人が多かったのだろう。

コーディネーターといえば、能力はすごいのかもしれないが、性格はピーキーというイメージは、劇場版の新しい敵では更に強まっており、精神攻撃とかできるのかもしれないが、実際は劣化版という印象は拭えなかった。

 

そもそも最初テレビシリーズが始まったあたりで、デザイナーチャイルドなら、性格の傲慢さとか、嫉妬心とか、怒りにとらわれてしまうとか、コントロールした方がいい精神的な性質にかかわる遺伝子も整えたらよさそうなのに、なぜそこはナチュラルと変わらんのか、不思議でしょうがなかった。

 

テレビシリーズ二期見終わったあたりで、お話を考えている人たちにはそういうSF的な観点はなく、コーディネーターというのはニュータイプに変わる主人公や敵が特別な理由づけに過ぎないということがわかってきた。

性格のピーキーさも、ストーリーや場面を盛り上げるのに必要だから、また偏っているくらいの方がキャラクターとしての魅力になるから、そこをいじるような設定は思いつきもしなかったのだろう、と考えるようになった。

またマイペースで怠惰な学生キラ・ヤマトが、モビルスーツ搭乗者として次第に傲慢になっていくというのは、「原点回帰」を謳ったこの作品らしいアムロ・レイへのオマージュだったんだろうし。

 

ただ、それはそれとして妄想するのは視聴者の自由なので、CE世界で最初にデザイナーチャイルドを作ろうと考えた科学者のことを考えてみた。

その人自身は当然ナチュラル(という概念はもちろんコーディネーターが生まれる前は無かった訳だが)ではあったものの、知能についても肉体についても非常に優れた人間で、自分のような人間がもっとたくさんいたら世界は良くなるはずだと発想して、人工的に優れた人間を作る技術を開発し成功させた。ただ、人間の性格のトラブルを生じかねない部分、それについては、手つかずのままだった。

 

(その理由をテレビ放送当時は性格というのは遺伝子操作ではどうしようもないものとして描いているのだろう、スタッフの諦念の現れと考えたりもしたのだが、上で書いたようにおそらくそこまでは考えてない。)

 

性格にかかわるゲノムは探せば見つけられただろうが、その科学者にはそういう発想は無かった。なぜなら科学者自身が他人の傲りや妬みや怒りや独占欲という感情を感じることができなかったから。彼にとっての他人とは、能力のみではかるものだったから。おそらくそういう脳の構造を持った天才だったのだろう。

これが劇場版まで見て現在いたった解釈(妄想)です。

 

感情に関心を持たない人間が開発した技術が時に極端な感情にふりまわされる人間を生み出したというのは皮肉な話ですな。

 

しかしSF的にはこの(妄想)科学者の方が未来の人間の典型なんですけどね。

古くは星野之宣の『2001夜物語』とか、最近の間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』でも、人間は感情を必要としなくなるものへと変わっていくというビジョンが示されてますよね。

 

高温だの大雨&洪水だの竜巻だのといった「異常気象」、それに台風だの地震だの大災害が世界中で続いているのを見ていると、もう地球を離れてスペース・コロニーやら月やら火星やらに移住した方がいいんじゃないの、って思ってしまいますね。

もちろん、そんな技術も体勢も整っていないわけですが。

 

しかし、地球を離れるにしても何しろ人類は数が多いのでどういう順番で外に出てもらうかを考えなければならない。

例えば、最初の「ガンダム」では、スペース・コロニーは地球に人間が住める土地が少なくなったことに基づく棄民政策のための場所として描かれていた。だから宇宙移民は地球在住者をエリートとして羨んでいた。地球に残った側から移民が差別されるというのは、少し後の「ダグラム」も同様だし、十数年後の「機動戦艦ナデシコ」にまで引き継がれている。例がロボットアニメばかりですんまそん。

 

ところが、最新作の「水星の魔女」では同じように地球は人類に住みにくくなっているものの、エリートがスペース・コロニーに住み、地球上に残された側が棄てられたことになっていて差別されている。

この違いは、いわゆる環境問題が地球全体にかかわるものとして意識されるようになって以後と、それ以前の未来観の差として考えることができるのではないだろうか。

1970年代から80年代は公害は問題になっていてもそれは地域の問題で、地球環境全体にかかわるものとして(啓発する者はいたが)おおっぴらに語られてはいなかった。その空気は90年代にも残り、ようやく世紀が変わってから人類全体の問題として扱われるようになった。

(「ターンA」や「Gのレコンギスタ」といった富野御大の作はそのへんが単純ではないのがさすがというか)

 

ロボットアニメに限らず、最近の「インターステラー」のような映画や「ここはすべての夜明けまえ」のような小説でも、エリートが地球を離れてしまうようになったのは(残された・棄てられた人たちはいないのかもしれないが)、冒頭で書いた様々な気象現象や天変地異を通して住めなくなった地球がリアルに感じられるようになったからかもしれない。

 

とはいえ、それとは違う想像力の動きも当然ありうるんですけどね。