わたくしがはじめてWisemanさんの映画と出会ったのは、「Ballet」が最初でした。日本での上映は製作されてからすぐではなく、ぐっと遅れて2002年だったようです。

 

 やはり2002年に上映されたオペラ座バレエ団を取りあげた「Tout pres des etoiles Les danseurs de l'Opera de Paris」(2000年)という、邦題がシンプルに「エトワール」だった映画と全く作りが違ったのがとても印象的で惹かれたのです。

 みなさんご存じのとおり、ナレーションもテロップもインタビューもなく、聞こえてくるのは実際に撮影現場で響いていた音だけでBGMもない、その潔さと、しかし映像からにじみ出してくるユーモラスかつブラックな雰囲気は今まで見たことがないものでした。

 

 その後、「Ballet」の監督がFrederic Wisemanということを意識したのは、今は亡きミステリー作家殊能将之の日記を読んだからでした。今はネット上で読むことはできなくなっていますが、個々の映画の感想と共にWisemanの映画全体が示してしまう撮影対象に対する悪意のようなものについて語っていました。

 

調べてみると、2005年のこのような上映会の記録がありますが、確か「基礎訓練」の感想が書かれていたように記憶していますし、もっと多く見ていたようなので、また別のイベントだったのかもしれません。

 

地方での映画祭で上映されている情報を横目にしつつ、しばらくWisemanの映画にふれることができなかったのですが、その後「La Dance」「Crazy Horse」といういずれもパリの、一方はバレエ劇団、一方はストリップを見せるキャバレーを題材にした映画を見ることができました。

  

 

その後は定期的に上映されるようになったのですが、それらの映画のパンフレットには映画関係者や映画ファンによるWiseman映画ベストのようなページがあり、そこで挙がっている名前は日本では正式には公開されていなかった初期作品ばかりなのです。

ぐぬぬ。

 

今年ようやく初期作品を見る機会があり、大阪や神戸での上映はタイミングが合わなかったため見送り、京都へ見に行きました。

今のところ見ているのは「TITICUT FOLLIES」「ZOO」「MEAT」の3本。

見た直後の感想はこちら

 

一作目に出てくる演説するおじいさんやおじさんたちを見てたら、「Paris,Texas」の橋上の演説する人を思い出しましたが、もしかするとああいう人がアメリカには普通にいるということだけなのかもしれない。日本だと演説よりも紙に書いたものを掲げたり貼りつけたりする人の方が目立つのはおもしろいところです。

 

二作目で一番笑ったのは、餌係の人がバランスの取れた栄養を動物に与えるために様々な食材を大きなボウルで混ぜているシーンが途中にあるのですが、最後の(おそらく動物園に寄付をしてくれるような)セレブを集めた園内パーティで供されていたサラダが同じような混ぜられ方をしているということろでした。

 

三作目は「Our Dairy Bread」の元ネタみたいな映画でした。違いとしては、あちらは肉だけではなく魚や野菜を取りあげているし(色が付いているのも大きいでしょうか)、オートメーション化がより進んでいることを見せてくれますが、たとえば労使交渉の場面なんかは出てこない。そのかわりつまらなそうに食事をしたりバスで農場まで運ばれたりする労働者を映し出したりはする。Nikolaus Geyrhalterという監督は他の作品でも、人と人との間に生じる対立や行き違いを直接描くことを避けている印象がありますね。

そのあたりはWisemanさんの得意なところなわけですが。

 

さて、残りいくつくらい古Wisemanさん映画を見られるでしょうか?

(https://tenkinoko.com/)

http://re-zero-anime.jp/hyoketsu/

 

一本目は8月に既に見ていたのを未見の人につきあって再視聴。

二本目は昨年10月にOVAの特別上映を見たテレビアニメの劇場版。いや、OVAの続きから始まっていたので、念のため見ておいてよかった。

 

一本目では人間にとって未知の生態系の生き物?として鯨っぽい造形のものが登場していた。

その前6月に見た映画では鯨そのものが繰り返し登場してあれあれと思っていたのだが、思い返してみれば今月の二本目のテレビシリーズで空を飛ぶ鯨が中ボス的に現れていたのだった。

 

巨大な、偉大な、知的な、強力なものとしての鯨の表象というのは日本のマンガ・アニメ・ゲームの世界で一つのテンプレートになっているようですな。

 

とはいえ、鯨がキーになる存在として登場するのは「旧約聖書」や「白鯨」をはじめとして日本オリジナルというわけではない。

鯨の歌を聞きつけて宇宙人がやってくるというこの1986年に公開された映画、全体としてはそうとう頭の痛いストーリーではあるのだが、鯨と歌というイメージを広めるのにはそれなりに役だったのでは。

 

とはいえ、日本では既にその二年前にこの小説が出ているわけですが。

 

人間を超えた存在として鯨を描くマンガやアニメなどの系列など整理してみたいものであることだよ。

既に誰かやってますかね。

8月下旬の時点での朝顔の収穫は既に紹介していたが、11月初めに全ての種を収穫した。

 

右が夏の収穫、左がそれ以降の収穫。大きさも数も後者の方が上である。

さすが朝顔と言えば秋の季語。

 

10月にもちらちらと花も咲いておりました。

とはいえ、紫色の同じタイプだったのは暑くなくなっていたのと関係があるのだろうか。

 

今年の朝顔話はこれにて終了。

忘れないうちに新しい種を買っておこう。

https://liveviewing.jp/contents/matsuri-dodesyo/

昨日忘れていたが、10月は〈ライブ・ビューイング〉ってものを初めて映画館でビューしたのだった。
上映までの宣伝でわかったのが、ライブ・ビューイング・ジャパン と いう会社があって、演劇・音楽・お笑いなどのライブを映画館で上映しているのだった。
前からビューしている人からすると当たり前なのでしょうが、映画館でやってるのでてっきり映画会社や配給会社が関わっていると思っていたのだった。

実際にライブ会場で撮影したり映像データを配信しているのは、現地の下請け会社なのかもしれないが、おそらく映画上映とは違うノウハウがあるのでしょうなあ。

で、中身の方はとても楽しめたし、いいビューでしたよ。もっと拍手したりしながら見たかったんだけど、客層が温和しめでしたね。
え、新作ですか? うーん…… (お約束)

https://www.violet-evergarden.jp/sidestory/

https://www.pokemon-movie.jp/

https://hello-world-movie.com/

https://saenai-movie.com/

 

4本とも日本のアニメ映画。

テレビアニメのOVA的な外伝、旧作映画の3DCGによるリメイク、オリジナルの3DCGアニメ(一部手描きあり)、テレビアニメの完結編にあたる劇場版と制作方法や製作の経緯はバラバラで、日本のアニメ興業の多様性が現れていてその点も面白かった。

 

テレビアニメの続編的なものは、それぞれのキャラのファンに応えるために見せ場を作るのが大変そうである。

また既にある関係性の確認になりがちなので、どうしてもらぶらぶらぶらぶしすぎて、見ていてにやにやにやにやすることが多くなりますな。

 

オリジナルものは、しかし様々な先行作品をうまく使って面白がりどころをうまく作っていた。どこかで手描きアニメによる違う階層の表現があるだろうと思っていたので、あまり意表をつかれなかったのが残念。既にこれもありますしね。

avalon Blu-lay

今年度のジャーナリズム論の講義第1回の準備をしていて、昨年度のレポートのテーマ一覧を公開していなかったのに気づいた。

2016年度2017年度と二年続けていたのに、途絶えるのもなんなので、半年遅れだが載せておく。

2019年度は遅れないように気をつけます。

順不同です。

 

日米の都市緑化を比較して
ボードゲームの日米比較
戦後~現代の日本語の変遷
留学失敗談
翻訳文らしさの謎
日本とアメリカの比較から見る図書館の実状
日本音楽的な邦楽の発見
「焼き鳥は串のまま食べる!」~動物倫理の法と報道での日米比較~
日米の社会集団の比較
日米が生んだ在日コリアン
ゲームが遊びではなくなる日
アメリカンドリームに焦がれて
日米のアニメーション
日本とアメリカと自動車の歴史
Amazon VS 楽天
世界に広まる日本文化
マンガの架け橋
箱舟の幸せはどこか? 日米の動物園の取組から
ハルキスト裁判
外来生物の新たなる一面
届かない声 保護犬の現状日米比較
アメリカにアイドルは存在しないのか
マヤ・デレン作品における暴力と肉体~戦争が生んだ新たな肉体意識
日米は対等か
日本とアメリカの音楽関係
日本とアメリカをつなぐサブカルチャー文化
アメリカと日本のお笑い
日米における「ハロウィン」の違い

https://tenkinoko.com/

http://caniba-movie.com/

https://www.onepiece-movie.jp/

http://konosuba.com/

 

先月はアメリカ・フランス合作のドキュメンタリー、ただし登場人物は日本人で舞台は日本、というのを見た以外はすべて日本のアニメ映画を見た。

 

後の二本はいずれも原作ありテレビアニメの劇場版でファン・サービスの多い作りだった。一見さんにはちと厳しそうな感じかな。

 

最初のは、大ヒット映画の監督期待の新作で興行的に成功したようで何より。

監督は、前作について向けられた「何も失わずに大切なものを取りもどす映画だ」という感想に対するアンサーとして作った、というようなことをコメントしていたが、だとしたら問題をよく読まずに書いた解答という印象ですな。まあ、そういうずれたところが、ああいう細部の詰めがあまいすっとぼけたストーリー(ほめ言葉)を作れてしまう所以なのだと思う。

 

いろいろと説明は足りないものの、ああいうやっちゃった的な結末はSFとしてはよくあるからいいんじゃないでしょうか。

 

2本目はとにかくえんえんと屋内の映像が続く閉塞感が凄い。脳梗塞で身動きもままならない主人公の自業自得的な状況をよく表しているし、最後開放感を与えずに終わったのもえらい。

見ている方は厳しかったが、そういうドキュメンタリーも必要であると思う。

朝顔は今日も咲いて、いや少しずつ咲き続けているのだが、今年はすごく暑かったり、かと思えば台風が来たりと、彼らも死を覚悟したのか、既に種を付けているのだった。

 

 

昨年の全収穫が下の写真のとおりなので、今年は豊作になりそうですかな。

 

この本を読んでいたら、斎藤美奈子・成田龍一との鼎談「文学・カタカナ・資本主義」で高橋源一郎が、詩がかつて前衛を演じなければならなかったこと、現在はそうはなっていないということを語る際に、「フォワード」「ディフェンス」「ミッドフィールダー」「ベンチに下がっちゃってる」というサッカーの比喩を使っていて、Jリーグ以前の1980年代にはこんな言い回しなかったよな、と可笑しくなった。

 

かつてはスポーツだと野球や相撲の用語の比喩が圧倒的で、野球だと「ぎりぎりセーフ」とか、同じ文字数で他にどういう言い回しを使ったらいいのか、と思うくらいだし、最近は使わなくなったが、「うっちゃり」という語のニュアンスは、たとえば「大逆転」では伝わらないものである。

なので、もちろんそれらは今も使われつつ、新たなスポーツの用語も日常化しているわけだ。

 

しかし、もちろん専門用語なので、そのスポーツについて知らない人には伝わらなかったりする。

先程の鼎談にしても、他の二人がサッカーの用語を知っていたから良かったものの、知らなければ説明の時間が必要だったろう(実際そういう時価があっても記録には残らないだろうが)。

 

80歳の母は野球について何も知らないわけではないが、詳しくはないという人で、「ホームラン」や「デッドボール」はわかるが、「タッチアップ」や「ボーク」は知らないという感じだろう。

彼女がまだ40代だった頃、夏の全国高校野球大会の記事の見出しを見て、どういう意味なのか、聞いてきたことがあった。

その見出しは「○○、またサヨナラ」というもので、○○高校は負けて甲子園にサヨナラしたのに、なぜもう一度サヨナラできるのか、と疑問に思ったのだった。

 

後攻のチームが最終回に勝ちこしの得点をすると、スリーアウトにならなくても試合終了となる、この状況を「サヨナラ」という四文字で表した人はすごいが、知らないと全く伝わらないし、確かによく考えるとお別れを言って勝つ、という謎の状況でもあるのだった。

 

当時、説明を聞いた母親は笑っていた記憶があるが、こういうことは今でも世界中で起こっているのだろうなあ。

http://www.spiderman-movie.jp/

http://moviola.jp/nypl/

http://evans.movie.onlyhearts.co.jp/

https://www.toei.co.jp/movie/details/1214553_951.html

 

先月は4本。事情により安静にしていたり、謎の足の痛みで外出を控えていたのでこんな感じに。

 

真ん中2本はいずれもアメリカのドキュメンタリーだが、二本目が圧倒的過ぎて比較にならない。ひさびさに上映中に休憩時間というのを経験した。

同じアメリカでも、今の方がずっと多様性について考えなければならない状況なのがよくわかった。一方で、三本目は個人の話に没入していて政治の話が無かったのが物足りなかった。作者のイメージに縛られて作られたのかもしれない。

 

一本目と四本目は、アメリカと日本をそれぞれ代表する有名ヒーロー達の映画。

表向きは、大昔と基本同じ見た目だったり、逆にずいぶん違う外見だったりと真逆の方向性なのだが、現代的にアップデートされているという点では共通していた。

より自由なのは日本の方だった、かもしれない……

 

四本目は2本立てなのだが、その後半を見ていてちょっとした疑問が。

シリーズの名前に元号を用いていて、それが9月からの新作で変更になり、今回の映画ではそのストーリーの外側の設定が登場人物達にも受け容れられたりしていた。

で、主人公は王様になろうとし、それが実現するのだけれども、元号が変わる原因となった皇室の人達は、あそこではどういう立場になるのだろうか? そもそも元号と天皇に関係の無い(皇族もいない)世界なのか、天皇制を廃止して世界中が王政になったのか、それはそれこれはこれ! ってことで共存してるのか。

まあ、何も考えて無さそうですね。